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大学はおおいに活用して自由に生きよう
藤本 義一

大学に入って、就職して……そんなシナリオが在学中に一変する。
脚本家を目指し、ラジオドラマの懸賞に片っ端から応募する日々。
「懸賞荒らし」と呼ばれた学生時代から、約50年間、一貫してフリーで活動。
卓越した観察眼で社会や日常を次々と斬る藤本義一氏の、大学に寄せる思いとは。

就職のため、大学へ進学

「大学を出て就職し、安定した収入を得る」、はじめはそう考えて、受験した。敗戦の焼け野原は過去のものとなりつつあったが、日本経済が高度成長の途につくまでにはまだ間がある、就職難の時代だった。確実に職を得るためには、大学に行かなくてはならない。病弱の両親は、入退院を繰り返していた。

そこで、日本中で一番学費が安く、自転車で通学できるという理由で大阪府立大学に入学した。当時、授業料は一カ月500円。二日間バイトをすれば、まかなえる金額だった。経済学部に行き、社会科の教員の資格も取った。あとは、卒論を書けばそれで予定通りとなるはずだった。


卒論のテーマが就職をやめるきっかけに

ところが、卒論のテーマに選んだ「日本の雇用問題」が、僕に転機をもたらすことになる。いろいろ調べていくうちに、組織に入って給料をもらうことが、バカバカしくなってしまったのだ。

日本人の平均寿命が42.8歳だった明治34年に決められた「定年(当時は停年)55歳」が、50年以上経っても変わっていなかったこと。本来は基本給に入るべき「ボーナス」や「手当」をわざわざ別枠にして、ありがたいと思えという、権威者の持っている傲慢さ。就職すれば、これらが自分にも降りかかってくる。

このことに気づいてしまった以上、枠の中で束縛されるのはいやだった。そして、子どもの頃から好きだった映画の世界で仕事をしようと思った。

年間700冊の本を読み脚本を書き始める

就職はやめることにした。とはいえ、何のツテもなく、映画界に入る道順がわからない。とりあえず、ラジオドラマの懸賞募集に応募することから始めた。もちろん、最初からうまくいくはずはない。とにかく猛烈に本を読んだ。

一日2冊ずつ、年間700冊は読んだだろう。まず本のストーリーを読み、次に頁をとめて続きが読めないようにして、自分で展開を考えてみる。そんな工夫もした。

何度も応募を続けるうちに、次第に最終選考まで残るようになり、入賞して賞金をもらうようになった。NHKなどは一度入賞すると、二度目はない。次々と民放に応募し続ける。学生時代の最後の頃は懸賞荒らしだった。当時としては、けっこうな額のお金を貯めることもできた。

ラジオドラマから舞台劇、そして映画のシナリオと広がっていき、わが師・川島雄三に出会ったのも学生時代だった。結局、自由業の徒弟制度のなかに飛び込んでいくことになった。

学生の身分は必要だった

脚本を書き始めても、大学を辞めようとは思わなかった。
当然のことながら、時間はない。睡眠時間も四時間ほどしかない。ただ僕のとっていたゼミは、教授と学生が一対一。講義のために大学へ行く必要がなかった。ミナミの喫茶店で会って話し合う。

専攻は農業経済だったが、僕が脚本を書いているのを知っているため、先生から質問を受けて僕が答えるということもあった。この武部先生とは、その後、先生が亡くなられるまでおつきあいが続いた。

それに、学生ならば懸賞金に税金がかからない。生活費・学費を稼ぐのに好都合だった。しかも、何か調べたいことがあると学長の紹介状も書いてもらえる。「この者は本学の学生であるから、資料を提示願います」などという書状を持っていれば、おお威張りでどこにでも行くことができる。利用できるものは利用したほうが得だ。大学生の身分は必要だった。

だから大学は、本当に面白かった。今でも、僕はそういう大学の活用の仕方をしてもいいと思う。そういう学生がでてきたら、教授もきっとのってくるだろう。

大学は独創を教えなくてはならない

毎日何かを意識して好きなことに進んでいったら、大学の四年間ではわからないかもしれないが、何かしら大学で拾うものはあるはずだ。たとえば、中世史を専攻しているなら、教授に向かって自分の中世史観をぶつけてもいい。

それに答えられない教授はもうダメだ。あるいは「いや、君はそういうが、坪内逍遙はこのように解釈している」などというのもいけない。「私はどう解釈しているか」と受けて立たなくてはならない。

独創を教えなくてはならない。そうでなければ、教授の資格はない。しかし、それが足らないような気がする。僕の知人にも大学教授はいるが、ただ名刺に大学教授と刷っていて、安穏としているところがあるように思われるのだ。

大学で教える人間はさまざまでいい

「最近は、誰もが大学へ行くようになり、大学の果たす役割は変わったし、もう変えなくてはならない。純粋に学問を追究し、研究するだけでなく、大学で教える人間も、さまざまな人がいていい。

十数年前だが、詐欺師をモデルにした小説を書くため、北海道の詐欺師ばかりを収監した刑務所を取材したり、いろいろ調べたことがある。

詐欺師になるためには、非常に頭がよくなくてはならない。人間がわからなくてはならない。極端なことを言えば、学生たちに彼らの話を聞かせてもいい。別に犯罪を奨励するわけではない。法律とは何か、人間の心理とは何か。相手の心をいい意味で洞察できる人間になればいいのだ。

あるいは、学歴はなくとも、すごい頭脳を持っている人もいる。これまで、いろいろ取材を続けてきたが、世の中には思わぬところにすごい人がいるものだ。数式は解けなくても、その人が生きてきた五十年、六十年を語らせると、驚かざるを得ないような人がいる。そういう人たちを探しだし、学生たちに聞かせてもいい。

知識だけを教えたって、学生たちはつまらないし、人間の幅も広がらない。人間の頭脳の中には、もっととてつもなく面白いものが隠されている。そんなことを学べる大学ができてもいいと思う。

藤本義一 Fujimoto Giichi

1933年、大阪府生まれ。大阪府立大学経済学部卒業。
在学中より、ラジオ、テレビドラマ、舞台の脚本を書き始める。57年『つばくろの歌』で芸術祭戯曲部門文部大臣賞受賞。74年、『鬼の詩』で第71回直木賞受賞。作家、エッセイストとして活躍する他、65~90年、テレビ番組「11PM」の大阪側司会者を務める。著書に『人生の賞味期限』『人生の自由時間』(岩波書店)、『人生レシピ』(PHP研究所)など、多数。

大学改革提言誌「Nasic Release」第9号
記事の内容は第9号(2003年11月30日発行)を抜粋したものです。
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