トップページ > ナジックリリース > 第9号

一流の学生、研究者の育成なくして、高等教育の発展はあり得ない (京都大学 総長 長尾 真)

一流の学生、研究者の育成なくして、高等教育の発展はあり得ない

競争よりも共栄を目指す京都大学の精神とは
京都大学 総長 長尾 真
京都大学は、5名のノーベル賞受賞者をはじめ、多数の世界的な研究者を輩出し、大学のあるべき姿を追求し続けてきた。戦後、新制大学が発足して以来の大改革といわれる国立大学法人化を控え、自らの使命を果たすため、大学は何を守り、何を変えていくべきなのか。長尾真総長に伺った。(聞き手/学生情報センター社長 北澤俊和)


国立大学法人化後も研究環境の維持を

――国立大学の法人化がいよいよ目前に迫り、全国の大学ではさまざまな改革が進められています。運営の効率化や体力強化を目的に、国立大学が統合する動きも出てきました。大学間の競争激化が予想される中、在野精神を持つ京都大学がどのような改革を行うのか、非常に注目を集めていますが。

長尾総長(以下敬称略) 京都大学には、「伝統的学問を継承し発展させる」「基礎研究を重視して新しい分野を切り拓く」「世界で提起される深刻な問題に積極的に対応する」「こういったことに積極的に挑戦してゆく優れた人材を育成する」という明確な使命があります。

この使命を全うしていくため、本学はこれまでも先見性のある改革を着実に行ってきました。したがって、今回の法人化に際して、特にドラスティックな改革を断行するつもりはありません。急激な変化は、大きな混乱を招く危険性があるからです。本学としては、変えるべきでない部分はしっかりと守りながら、変えなければならない部分については、ゆっくりと変化しながら新しい態勢に移行していきたいと考えています。

――どういった部分を変えずに守っていこうと考えておられるのですか。
長尾) 取りも直さず、本学の教員が自由闊達に研究に取り組める環境だけは、絶対に守り続けなければなりません。社会で注目されるような先端的な研究については、大学側がサポートしなくても、教員の実力次第で研究費を確保できるでしょう。

それに比べていろんな地味な「基礎研究」は、目先の利益につながらない場合が多く、ひとたび弱肉強食的な競争原理にさらされると、これまでのように研究費を得られなくなる可能性があります。しかし、基礎研究は人類の未来のために必ず継続しなければならないものであり、10年20年という長いスパンで見守っていく必要があります。

具体的な成果が見えにくい基礎研究を維持するためには、勇気も忍耐も要りますが、だからこそ京都大学のような伝統ある大学が力を注いでいくべきなのです。

一方、法人化によって変えなければいけない面もあります。例えば、国立大学の教職員は法人化後、国家公務員でなくなり、原則的に一般企業と同じ雇用関係になります。しかし、給与体系や組織の変革を一挙に行おうとしても、必ず無理が生じるわけで、数年間の移行期を設定して、段階的にシステムを変えていくべきと考えます。

その間、研修等を通じて職員の意識改革に取り組み、職種によっては近隣の大学との人事交流を行ったり、一般企業へ出向して勉強してもらうこともあり得ます。いずれにせよ、今後、仕事量は増えるにもかかわらず、人員は増加できませんから、事務効率の向上のために、組織全体で業務内容の改善や職員の専門能力向上に取り組まねばならないといえます。

一流の人材を輩出するには自主性の醸成が不可欠

――ここまで主に研究面についてうかがってまいりましたが、大学のもう一つの重要な役割である「教育」に関するお考えをお聞かせください。

長尾) 本学では、伝統的に学生の自主性を重んじる風潮があり、どちらかといえば放任主義的な教育を行ってきました。しかし、近年の学生の質的変化に対応する意味も含めて、京都大学の教育はいかにあるべきかを改めて見直すべく、ここ数年は教育のあり方に関するシンポジウムを開催しています。

基本的には個々の教員の個性・能力を生かした教育を行っていけばよいと考えています。もちろん、教育内容を日々充実させていくのは我々の当然の責務です。しかし、高校まで「詰め込み教育」を受けてきた学生に、大学に入ってまで知識を詰め込むような教育を行うべきではありません。

大学側はどういう環境を与えるのがベストかを考えたとき、入学後1~2年の間は、「自分は何を勉強すればよいのか」という問題に悩み、もがき苦しみ、深く考える経験を通じて、本当にやりたいことを自分で見つけさせることも大事なのではないでしょうか。ある意味、冷たい印象を受けるかもしれませんが、これまでの本学卒業生のアンケート結果を見ると、自主性を育てる本学の教育方針を評価している声が多いのも事実です。

「これを学べ」と、外から押しつけられるのではなく、自分自身で見つけた目標だからこそ、それを達成するために大きな力が湧いてくるのです。もちろん、ただ突き放すだけでなく、目的を見失って授業についていけなくなった学生にカウンセリングを施すなど、必要なケアは行っています。

――長尾総長が就任されてから、学生を育成する環境を改善するため、キャンパスの整備や留学制度の拡充にも取り組んでこられたそうですね。

長尾) キャンパスや校舎の環境整備は、優れた学生を育てるために不可欠な要素であると考えています。以前の京都大学には、必ずしも美しいとはいえないキャンパスから個性あふれる人材が輩出されるのを尊ぶ風潮があり、私はそれ自体を否定するつもりはありません。しかし、学力だけでなく、しっかりとしたプライドを持った人格、どんな場面でも堂々と物怖じしない人間をつくるためには、建物やキャンパスの雰囲気をよくすることも大切です。すべてにおいて一流のものに触れていないと、一流の人材は育ちにくいと考えられるからです。

本年11月には、時計台の建物の改装が終了する予定であり、最も整備が遅れていた教養部の建物も、きれいに改装しつつあります。こうした取組みは、学生を集めるためというよりも、入学してきた学生の育成のための活動といえます。

海外留学に関しては、国際的な視野と、外国人を説得できるだけの語学力を身につけて、世界を舞台に活躍できる人材を育成するため、これまで以上に力を入れています。法人化後は、できるだけ多くの優秀な学生が高度な教育を受ける機会を得られるよう、奨学金制度の拡充も図りたいと考えているところです。

国立大学の法人化は、京都大学が世界の大学へと飛躍していくチャンスととらえています。今こそ大学の本来の使命をしっかりと認識し、地に足をつけた改革を進めることが肝要といえるのではないでしょうか。

長尾 真 Nagao Makoto

1936年生まれ。59年京都大学工学部電子工学科卒業。
61年同大学院工学研究科修士課程修了後、同年京都大学工学部助手となる。66年に博士号を取得し、67年には京都大学工学部講師、翌68年に同助教授。
69年からフランス・グルノーブル大学で客員助教授を1年間務めたのち、73年に京都大学工学部教授に就任。大型計算機センター長、評議員、附属図書館長、総長特別補佐などの要職を歴任する。
97年には京都大学工学研究科・工学部長となり、同年12月に京都大学第23代総長に選出され、現在に至る。また、日本学術会議会員、文部科学省・経済産業省・法務省など中央省庁の審議会委員、委員長などに任命されている。
紫綬褒章・日本放送協会放送文化賞・ノッティンガム大学名誉博士号ほか、多数の賞を受けている。

第三者評価と大学改革 (桜美林大学副学長 諸星 裕)

第三者評価と大学改革

桜美林大学副学長 諸星 裕

大学改革の一つとして、文部科学省が第三者評価を提唱している。
閉鎖的だった大学を、外部から評価しようという動きであるが、これで日本の大学の変革と再生は可能なのか。桜美林大学で大学改革の先頭に立って活躍中の諸星裕氏に、第三者評価の問題、そして桜美林大学での改革について語っていただいた。

第三者評価以前の問題

現在、文部科学省が大学の第三者評価というものを提唱している。
今まで閉鎖的だった大学を、外部の第三者が評価して大学の透明度をあげようというのが趣旨のようだ。しかし、第三者評価を実施する以前に、日本の大学が解決しなければならないもっと重要な問題がある。

私はアメリカで、大学の評価認定委員を長く経験してきたが、私にいわせれば、日本の大学は世界的な大学の尺度にすら入っていない。世界的な標準から見れば、日本の大学が何をしているのか、さっぱり見えてこないのである。

日本の大学の特殊事情

日本のほとんどの大学の生い立ちは、昔の東京帝国大学に範をとっている。いわば、全国にミニ東京大学がたくさんあるという状態なのだ。こういう経緯があるため、今の大学は東京大学を頂点とした序列ができている。

東京大学を目指していた学生は、入試に失敗したのでA大学に入学する。A大学を目指していたが、その入試に失敗したのでB大学に入学する。つまり、大学はひとつ上のクラスを目指していた学生の受け入れ校として機能しているのが現状である。

よく譬えに出すのであるが、リンゴとオレンジを較べてはいけない。リンゴはリンゴどうしで、オレンジはオレンジどうしで較べなければならない。つまり、すべての大学を東京大学と較べても仕方がないのである。
では、日本の大学はまず何をしなければならないのか。それはミッションをつくることである。うちの大学はこういうことを実施している、というミッションが必要なのである。

明快なアメリカのミッション

アメリカの大学の例を挙げよう。ミネソタ州にカールトン大学という私立の大学がある。アメリカでは五本の指に入る優秀な大学であるが、ここにはきっちりした次のようなミッションがある。

「ここに入学すれば、アメリカの他のどの大学にも負けない最高の教育をします」
こう書いてあるものの、研究に関しては何も記述がない。カールトン大学には世界的な学者が集まっているが、ここは、研究機関ではなく、あくまで教育機関としての大学であることを謳っているのである。ここの大学の教員は、研究論文で査定されることはない。教育者としての評価だけである。驚くことに、ここには大学院もない。

アメリカの大学は、ミッションに関して誠に厳しい。約束が実行されないと、本当に大学がつぶされてしまう。実際、私も何回か大学を廃校にする立場に立ったことがある。
こういうアメリカの実情を見ていると、日本の大学は、はなはだ甘いといわざるを得ない。日本の大学は、アメリカの大学に較べて30年は遅れているといえる。

全入時代を迎える大学の現状

では、日本の現状はどうか。大学の数も学生の数も少ない時代だったら、まず研究ありき、という旧態依然とした大学のあり方でもよかったかもしれない。大学に入る学生のほとんどが、研究を目指しているわけではないし、実際、教授がどういう研究をしているのか、学生はほとんど関心を持っていない。
しかも、少子化が進み、大学の数が溢れ、2009年には、全入時代を迎える。ちまたでは、全国の大学の4分の1が危ないのではないかと噂されている。
大学側も集客力をいかに上げるかという目先のことだけを考えているようだが、一般レベルの大学においては、年を追うごとに学生の質が下がってきているという実態に目をつぶってはいけない。こうなってくると、教員に求められるのは、研究の成果ではなく、いかに学生の側に立った教育を提供できるか、ということなのである。

桜美林大学での取組み

私が3年ほど前から実施していることであるが、大学のホームページ上に、私だけしか見られない電子メールでの投書箱を設けた。毎朝チェックし、返事を出すのが私の日課の一つである。

1週間に平均して15通から20通寄せられる。外部からの意見も頂戴するが、90%近くが学生からのものである。カリキュラムや教員や授業に対する不満、そして事務に関することまで、内容もさまざまである。
例えば、学生からスクールバスの時刻を変更してほしいという旨のメールが来た。理由を聞いてみると、電車との接続が3分しかなく、乗り継ぎが大変だという。

私はすぐ担当部署に指示を出して、改めさせた。市役所などでみかける蕫すぐやる課﨟に近い役割ともいえるが、こういう細かいことも、とても大切なことである。

学部制の弊害をなくす

少しは改善されたようだが、いままでの大学は、学部間のセクショナリズムが強く、学生は学部が違う別の授業を受けられなかった。転部に至ってはさらに困難で、大学を入り直すより方法がなかった。
学生は若い。新たな関心が広がるにつれ、志望が変わっていくのは当然のことである。

私は、できるだけ学部間の壁を低くし、どの学部の授業でも聴講できるように改革を行った。主専攻とは別に、新たに副専攻を設け、たとえば経営政策学部の学生が、副専攻として別の学部である文学部の中国語の授業を受けられるようにした。
学生は、自分の志望に応じて、柔軟に授業を選べる。

将来の就職の選択肢も広がる。中国との貿易を扱う商社にも、中国路線を運航する航空会社にも就職の可能性は広がるであろう。また、こうすることで、各講座を受け持つ教員間にも、一種の競争原理を導入することになるのである。

評価基準を改める

また、日本の大学において、教員が学生を評価する基準が曖昧なのも問題である。たとえば、授業に出ていないのに、たまたま試験だけうまく通れば、単位が貰えてしまうという実態がある。これは、大学の成績が「優」や「良」の数だけで評価され、落とした単位は成績に勘案されないというところに問題があるのだ。

私はこれを改め、厳格な学生評価基準としてのGPA(Grade Point Average)を実施した。導入するまでに、教授会や職員を説得するのに1年もかかった。大学のプロダクツとは何か。卒業生でもサービスでもない。単位なのである。
この改革を実施してから、教員が評価に真剣に取り組むようになり、学生も成績に敏感になった。

教員の採用が研究業績だけで決まるというのも問題だった。面接や試験も大切だが、私がもっとも重要なポイントと考えているのが、学生たちへの模擬授業である。
教員志望者には、その人物が最も得意なことを、学生に講義してもらう。そして、その講義がどうであったかを、学生に評価してもらうのである。教員として大切なのは、どのくらい学生たちの目線に降りられるかなのだ。

一般レベルの大学に必要な独自性

今まで閉鎖的だった大学を、外部からチェックする第三者評価というシステム自体は価値のあることである。
しかし、その大学が何をしたいのか、そのためにはどういうカリキュラムを採用し、どういう教員を確保しているか、ということに踏み込める仕組みになっていない第三者評価では意味がない。さまざまな評価基準を設けて行わないと、相変わらず縦の軸が一本という、くだらない評価になってしまう。

大学は、オレンジもあればリンゴもある。慶應大学や早稲田大学など、同規模の大学をそれぞれ比較する分にはかまわないが、これ以外の、規模の小さい大学や、地方の大学と同列に較べても参考にならない。東京大学と偏差値を較べても意味がないのである。

研究機関としての東京大学、京都大学などは素晴らしい大学である。日本の技術力を上げるため十分な貢献をしているとは思う。しかし、一般レベルの教育機関としての大学が、これらの大学をまねる必要は全くないのである。

日本の大学は再生できるか

極端な例かもしれないが、私が考える日本の大学のミッションとは、例えば次のようなものである。
「我々の大学は、偏差値30から40までの学生しか取りません。そのかわり、卒業までには、英検準2級の資格を取らせます。ちゃんとした文章が書け、正しい日本語を話せるようにします。常識ある日本人として社会で活躍できる人物の育成をお約束します」

うちの大学はこういう特色があり、入学した学生にはこういうことを提供する、というミッションを明確に打ち出す。そしてそのミッションが確実に実行されているかどうかをチェックする、それが第三者評価なのである。
このように、明快なミッションを掲げた大学が並び始めたら、真の第三者評価が根づき、日本の大学はそれぞれ十分使命を全うできるのではないか。私はそう考えているのである。

諸星 裕 Morohoshi Yutaka

1946年生まれ。69年国際基督教大学(ICU)卒業。
70年に渡米し、ブリガムヤング大学大学院修士課程修了後、カナダ・オンタリオ州政府矯正省に入省。米国に戻り、州立ユタ大学にて博士課程修了後、77年ミネソタ州立セントクラウド大学助教授、84年同大学教授、90年ミネソタ州立大学秋田校学長に就任。98年桜美林大学大学院教授、99年副学長に就任。

現役企業幹部が語る「新入社員に期待するもの」

大卒者の厳しい就職環境が続くなか、大学側も学生に対する就職支援を強化している。その対策はどこまで有効か。新卒者は何を身につければいいのか。企業現場の生の声を取材した。

就職者は減少フリーターは増加

大学教育の結果、あるいは成果とは何か――。
それにはさまざまな指標が考えられるが、その一つに「卒業後の進路」が挙げられるだろう。

大学進学率の推移を見ると、1990年の30.6%に対し、2002年は、44.8%と大幅に上昇している。それにともなって、大学卒業者数も90年の40万人から、2002年には55万人に増加した(図1)。
しかし、卒業後の進路はどうか。

文部科学省の「学校基本調査」では、1990年の卒業者に占める就職者の割合は81.0%と高い値を示していたが、バブル崩壊後から減少傾向が続き、2002年には56.9%にまで落ちこんでいる。代わって急増しているのがフリーターだ。90年の3万人から、2000年以降は毎年14万人のフリーターが生まれている。

大学卒業生の約4人に1人がフリーターという計算になる。この就職しない、あるいはしたくてもできない学生をどうするのかは、大学関係者のみならず、社会的問題となっている。
一方、企業の採用傾向という側面から見ても、新卒者にとっては厳しい状況が続いていることがわかる。経済の低迷が長期化する中で、企業は雇用調整や人件費の圧縮を余儀なくされている。

内閣府が行った企業行動に関するアンケート調査「デフレ下の日本企業」(2003)でも、収益の悪化に対して人件費の圧縮をしている企業のうち、6割強がその方法として新規採用の抑制や凍結という回答をしている(複数回答)。また、正社員よりも、契約社員や派遣社員、パート・アルバイトで、人員不足を補う傾向が強まっている。

終身雇用制度が崩れるにしたがって、企業も人材の採用の仕方や考え方を変えてきた。つまり、長期的に能力を蓄積して終身的に雇用するジェネラリスト、高度な専門能力を有し年俸や業績給で遇するスペシャリスト、そして雇用や賃金について比較的調整がしやすいパート・アルバイトと、三つの形態に分類して採用を考える企業が増えているのだ。

即戦力のニーズと大学の就職対策

これまで日本の企業は、将来の可能性に期待しながら新卒者を採用し、企業内で時間をかけて教育訓練を行い、人材を育成してきた。しかし、最近ではグローバル化によって従来の日本的雇用の考え方が変化し、また経営環境の厳しさも相まって、時間とコストをかけて新卒者を育成していく余裕がなくなり、中途採用にシフトする企業も少なくない。

中途採用であれば、教育訓練の投資が少なくてすみ、即戦力としての活用が期待できる。
こうした傾向を踏まえ、多くの大学が少しでも企業のニーズに応えようと、「即戦力」の育成に力を入れ始めた。資格取得や語学修得、インターンシップの導入などで実務能力の向上をめざしているが、これらの対策は、どこまで有効なのか。企業が求める人材像と、本当にマッチしているのだろうか。現役企業幹部に聞いてみた。

何を評価ポイントにして新入社員を採用するか

「どんな人を採用したいか」という質問に対して、三菱信託銀行個人業務部執行役員の見田元部長は、「生きる力を持った人」だと答える。そして、見田氏は採用したくないタイプについてこう言及した。

「何事に対しても中途半端、すべて適当にやっていくという姿勢がうかがえる人は、採用を躊躇しますね。たとえば学業成績が特に優秀というわけでもなく、でも『優』がゼロというわけでもなく、そこそこはやっている。熱心にクラブ活動に打ち込んだわけでもなく、なんとなく同好会に入ってそれなりにやってきた。こういうタイプの中には、社会人としても『そこそこ』にやって行けば通用するのだと思い違いをしている人が見受けられます」

日本航空国内旅客事業企画室の鈴木満部長は、採用時の評価ポイントを次のように表現した。
「芯というか機軸というものを持っていない人とは、非常に仕事がしにくいものです。たとえ間違っていてもいいのです。自分の意見をきちんと言える人でないと、会社で共に仕事をしたときに、周囲を惑わせてしまうおそれがあります」

2人の意見に共通していたのは、まず「採りたくない。一緒に仕事をしたくない」と、否定的な表現をしている点だ。これは、採用する側は「こういう人材がほしい」というよりも、まず「こういう人は要らない」という、採用候補者から除外する作業から始めるということを表しているのかもしれない。

そして、重要なことは、「そこそここなす」「何においても平均点」の人は、「要らない」人と判断されて最初に除外されてしまうということだ。今の時代、「器用な人間」というのは評価されないということを表しているのだが、これは現在の日本経済が置かれた状況を理解すればうなずける。

「会社の仕事というのは適当にやっていれば大丈夫、と考えていたら大間違いですが、最近の若い人を見ていると、それをわかっていない人が増えているようで怖いです」(鈴木氏)

「そこそこやってきた人に比べたら、極端な話、『優』がまったくないとか、クラブ活動は一切やらなかったという人のほうが、私には魅力的に見える場合が多いですね。そして、クラブ活動だけは一生懸命やったとか、アルバイトとか、もちろん勉強とか、何でもいいんです。これだけは一生懸命やったと言える人に『生きる力』を感じるのです。

何事も適当にやってきて、真正面から事に当たるということをしたことがない人には、本当の意味での『生きる力』はありません」(見田氏)

「即戦力」として何が期待されるのか

では、新卒者に対して「即戦力」として期待される能力は何だろうか。
「じつは仕事ですぐに使える能力には、大きな期待は抱いていません。会社によって事情はちがうと思いますが、わが社では、会社に入って4、5年の間は、地道に地力を培う努力をしてもらえばよいと考えています」(見田氏)

「日本的経営の特徴かも知れませんが、やはり若いうちは現場で経験を積み上げていくことが大切でしょう。そうした基本的な体験から私の言う『機軸』も生まれてくるのです。
もちろん、英語は使えたほうがよいでしょう。パソコンも使えたほうがよいでしょう。しかし、それは採用の可否を大きく左右する要因にはなりません。

インターンシップなども盛んに言われだしましたが、社風とか会社の概略を理解してミスマッチを少なくするということには役立つかもしれませんが、私どもでは即戦力の養成機会だとはとらえてはいません」(鈴木氏)

たしかに、学生が企業の仕事を内部から見られる機会は少ない。それだけに、インターンシップ等でお互いによく理解しておくことは、意味があることだろう。だからといって、その経験が仕事にすぐに使える能力を養成するとは考えていないのが、企業側の現状のようだ。

表面的な能力より人間的魅力を

今後の採用事情について聞いてみた。
「これからは、スペシャリストとジェネラリストを分別した採用になってゆくだろう」と言うのは見田氏である。とくに金融業界においては、ファイナンシャルプランナー、MBA、産学協同での研究者など、スペシャリストを望む声は企業側から強くあがっている。

「しかし、最終的にものをいうのは『生きる力』なんです。金融機関は、今冬の時代だとか言われていますが、そうしたときだからこそ、活躍できるチャンスはたくさんあるのです。そういうところでチャレンジしてみようという意欲ある新卒者には、ぜひとも来ていただきたい」(見田氏)

一般的には、企業側は「即戦力」を求める傾向を強めており、従来は中途採用者について言われていた即戦力が、新卒に対しても広がっているように思える。学生たちが資格取得や海外留学への熱意を見せているのも、そんな背景があるからだ。しかし、企業側が新卒者に対して求める「即戦力」とは、すぐに使える実務能力というよりも、むしろその根底にある潜在能力にあるといえそうだ。

東京商工会議所が行った「新卒者等採用動向調査」でも、新卒者を予定通り確保できなかった理由として、第1位に挙げられていたのは「いい人材がいない」からであった。では、いい人材とは何を指すのか。採用に当たって最も重視したポイントには、「積極性」「コミュニケーション能力」「常識・マナー」が上位を占め、「専門知識・技術」を上まわっている(図3)。

「企業は人なり」といわれるように、企業にとって人材は、最も大切な柱である。新卒者を採用し、長期間かけて育成していくシステムを決して軽視しているわけではない。時代がいかに変化しようとも、仕事を統括し組織をリードしていく人材は必要である。新卒者に最も期待されているのは、その可能性ということではないだろうか。

語学、資格、実務能力、これらを身につけようと努力するのは必要なことかもしれない。しかし、それが就職のための表面的な飾りに終わるのではなく、本人の人間的な魅力やエネルギッシュな実行力として磨かれるようなものになっていることを望みたい。

拝啓大学殿~上智大学編~ (学事部次長兼入試課長 寄田義和)

拝啓大学殿~上智大学編~

往信

●貴学の神学部、文学部、外国語学部の一般入学試験では1次、2次の2回に分けて試験を行っていますが、忙しい受験日程の中で、他校との併願を考えて受験を断念する生徒が多数いるものと思われます。1次、2次に分けて試験を行うのはなぜでしょうか。

●指定校制入試において、「評定平均値」「外国語検定試験」などのいくつかの基準があり、これらすべてを満たすことが受験資格になっています。他学では、いくつかある基準のうちのどれかを満たせばよいところもあります。すべてを満たさなくてはならないのはどういう理由からでしょうか。貴学が設定している基準の理由をお聞かせください。
(浦和明の星女子高等学校 清宮 宏 先生)

●早稲田大、慶應大に比べて推薦入試を重視しているように見受けられますが、いかがですか? 推薦基準に「評定平均値」以外に「外国語検定試験基準」がありますが、どのような理由からでしょうか? またAO入試・センター試験利用入試は導入されていませんが、どのようなお考えからでしょうか?

●高大連携として、高校生が大学の講義を大学に赴いて受講する制度のようなものを検討されてはいませんか?

●言語教育でユニークな「CALL」がありますが、その開発意図と現状をお聞かせください。また留学にも力を入れておられるようですが、学部によって差異があるのでしょうか。

●上智大学というと、どうしても文系のイメージが強いのですが、理工学部をさらに発展させるような構想はおありでしょうか。
(富士見高等学校 原 幸三 先生)

●貴学では、定員に対して推薦入試の占める割合が高いという印象を持っています。そのため、実力ある生徒でも一般入試試験を敬遠してしまう傾向があるのですが、推薦入試の占める割合が高いことの影響をどのようにお考えですか。

●これからは生徒が意欲的な学生生活を送るためにも、明確な目的意識を持ったうえで、大学や学部を選ぶことが必要になってくると思われます。本校では、大学の先生をお呼びして進路講演会を開き、学部・学科の概要などの話を生徒に聞かせていますが、貴学では高校への出張講義などはされていますか?
(サレジオ学院高等学校 斎藤旬司 先生)

返信~上智大学 学事部次長兼入試課長 寄田義和
学科に対する適性を見極め、より丁寧な入試を継続しています

上智大学でも入試制度を検討する機会は、何度も設けています。そこで主眼となるのは、本学を第一志望とする生徒さんになるべく多く受験してほしいということです。

志願者数を増やすにはどうしたらいいか、という考え方はしていません。もちろん、志願者が減ってしまうのは困りますが。「上智で学びたい」という強い希望を持っている方に来ていただきたいということが、第一義なのです。3校の先生方とも推薦入試についてのご質問があったのも、このことと無関係ではないと感じています。

浦和明の星女子高等学校の清宮先生のご質問ですが、挙げられた3つは、学科試験だけでなく面接を行うことによって本学の学科に対する適性を見たいという意向が強い学部です。また、そのほうが入学後の学生にとっても、期待がはずれることがなく、双方にメリットがあると考えられます。

確かに他の大学と入試日程が重なって、欠席せざるを得ないということもあるかもしれません。せっかく1次を突破して2次の受験資格がありながら来られないというのは、残念だとは思いますが、今のところはやむを得ないことと割り切るより仕方ないのが現状です。

学部によっては1次のみのところもありますので、今後変わっていく可能性がゼロとはいえませんが、より丁寧な入試をしているということで、こういう入試をやりたくてもできない大学があるなかで、本学は継続してできているという認識です。

「本学を第1志望とする優秀な学生に来てほしい」が大原則です

また、指定校制の推薦基準についてですが、まず募集の趣旨は「本学を第1志望とする優秀な学生を集め、教育研究のレベルを維持したい」というのが第一なのです。そのためには、ある程度のレベルの方に入学していただくことが大事になってきます。

指定校の場合は、とくに学校長の推薦を受けて応募しているということで、ほとんどの方が合格されます。そういうことから、最初からハードルを下げることはできないのです。評定平均値にしても、他大学より少し高いかと思いますが、やはり本学を第1志望とする優秀な学生を集めたいという趣旨に沿って決められているわけなのです。

サレジオ学院高等学校の斎藤先生、富士見高等学校の原先生には、推薦入試の占める比率が高い、他大学より重視しているのでは、というご質問をいただきました。実際には、そういうことはありません。以前は定員の3割とされていましたが、文部科学省の指導で定員の5割までは推薦入学でいいということになりました。

それで、本学でも文系の学部については3割、理工学部は5割を目安にしています。この数字は、本学が際だって高いわけではなく、他大学と変わらないでしょう。ただ、学科ごとの定員そのものが多くないため、一般入試枠の実数が少なく感じ、そういう印象を持たれたのかもしれません。

富士見高等学校・原先生のご質問のAO入試については、過去に何回か導入の検討はしていますが、今のところは見送るという結論で現在に至っています。それには2つの理由があります。まず第一は、本学には公募制推薦入試制度があります。これは、事前レポートを出してもらったり、面接や学科試問を行ったりしていますが、他大学で同様な入試をAO入試と称していることもあるので、すでに実績はあるともいえるからです。

第2に、これまでのAO入試をみていると、高校の現場であまりいい評価を得ていないという印象があります。早期に合格が決まってしまうと、それ以降の通常の高校の授業に身が入らないとか、さまざまな弊害があるようで、その対策を考えなくてはなりません。

またそれ以外にも、学生の選抜を学部の先生方から離して、別のところにオフィスを設けて実施するという純粋な意味でのAO入試は、業務上の負担からいっても難しい状況です。

センター試験については、導入はしないという結論です。センター試験を導入すれば志願者数は増えるでしょう。しかし、合格しても入学しない方が多いということになると、本当に本学を第1志望とする学生をとることが難しくなります。将来的にもセンター入試導入の意向はないといっていいでしょう。

高大連携には慎重な取組みが必要です

サレジオ学院高等学校・斎藤先生のご質問ですが、高校への出張講義につきましては、件数は少ないですが行ってはいます。これまでの例でいくと、外国語文学や社会福祉の分野での依頼が多いようです。

ただ、制度として整っているわけではありません。講師料や諸経費の負担はどこがするかなど、曖昧な問題が多々ありますし、授業期間中ですと、学内の講義が最優先なのはいうまでもありません。講義のテーマや先生について、具体的にリクエストいただいて、学内で調整がつけば実現は可能です。その際、すべてのオファーに応じられるわけでもないということは、あらかじめご了承ください。

高校生が大学に来て講義を受けるということは、年に2回オープンキャンパスでの体験授業の機会を設けています。富士見高等学校・原先生のご質問は、もっとつっこんだものだと思いますが、これについては、制度としてつくるのは難しいところです。
最近では、高校生に単位を与える大学も出てきていますが、青田買いではないかという見方もあります。高大連携なのか、大学の広報活動なのかという線引きも必要ですし、今のところは、本学の学生に対する授業を最優先にするということです。

真の国際人を育成すべく高度な語学教育に取り組んでいます

CALLは、"Computer Assisted Language leaning"の略で、コンピュータを外国語の教育・学習に活用するシステムです。これまでのような「受け身」ではなく「個別型、参加型・発信型」の授業を可能にする教材はつくれないかということから始まりました。プロジェクトは、1998年からスタートしました。

本学オリジナルの教材をつくろうということで、趣旨に賛同した学生のグループと教員と共同で教材づくりを行っていることが特徴です。現在は、英語、フランス語、ドイツ語、イスパニア語の教材が完成しています。

留学に関しては、現在、交換留学協定を世界の大学110校と締結しており、年間約200名が交換留学生として海外に出ています。留学先は、アメリカがメインです。

留学制度については全学部の学生にオープンされていますので、希望があればどの学部の学生でも行くことができますが、やはり外国語学部の学生が多く、英語学科では3人に1人の割合で留学しています。最初からそういう目的で本学に来ている学生が多いのでしょう。また、ポルトガル語学科なども留学率は高くなっています。

理工学部については、将来計画委員会を設置して検討を進めている段階です。委員会では理工学部の教育研究の充実発展のために必要なものとして、情報科学と生命科学の2つの分野の強化が必要であると認識しています。今後、どのように発展させていくかということについては、まだ発表できるような状態にはないのですが、将来的に発展させるべく動いているところです。

腹をくくってから動く!これが大学の生きる道《第一回》 (アクセンチュア株式会社 榎原 洋)

腹をくくってから動く!これが大学の生きる道《第一回》

これを読めば大学サバイバルに勝ち残ることができる! エコノミクスの最前線で活躍する辣腕コンサルタントによる大学経営指南。

アクセンチュア株式会社
官公庁本部・戦略グループ シニアマネジャー 榎原 洋

エコノミクスには逆らえない

1つの真理から始めよう。
蕫いかなる業種・業態であれ、中・長期的にはエコノミクス(経済性)には逆らえない﨟
これは、我々がコンサルタントとして入社した早期に、徹底的にたたき込まれる大原則である。

業界事情やその時々の偶然により、短期的には一見そうともいえないようなことはある。しかし、他の多くの業界での先例を見るに明らかなように、エコノミクスを軽んじて長続きすることはごく稀である。

もちろん、高等教育界も例外ではない。少子化などの影響を受け、ようやく、まさにようやく、競争市場が整いつつある。そして、競争市場が整えば、民間企業で駆使している経営改革の手法、特に経営戦略の考え方が、これもまた「ようやく」といっていいと思うが、存分に適用可能に、むしろ必要になる。

こうした前提を踏まえた上で論を進めてゆきたい。というのも、各大学にはそれぞれにドメスティックな事情があるが、そうした事象第一に囚われると先が見えなくなる。一方で、純粋理論一辺倒では、「大学は営利企業ではない」という非難を招くこともあるだろう。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」。

とかく大学改革はやりにくいというわけだが、我々のスタンスはあくまでも「智」に基づいた上で、「情」とのバランスを取る方法を探る。なぜなら、高等教育、とりわけ大学が、今後、従来の方法ではまったく立ち行かないことは明白だからである。
そうであれば、これまでは必要のなかった民間の経営手法を、まず「知る」ことから始めよう。

そして、そこから、それぞれの環境を慎重かつ充分に検討していこう――荒唐無稽ととられるかもしれないが、そうした向きにはこういっておこう。大学界にもすでに、本当の市場原理という賽は投げられたのだと。

3つの「腹のくくり方」

戦略と戦術――大学改革の議論で、最近、特に耳目を引く言葉である。
戦略とは、「我々(大学)はどこを(何を)目指すのか」であり、そのためには何が必要か、どういうアクションを起こすか、これが戦術である。戦略と戦術を、目的と手段と言い換えてもかまわないが、いずれにせよ、両者の混同、そして戦略なき戦術が溢れ返っているというのが、現時点での業界の実情である。

大学は医療現場と同じで、トップダウンで云々というよりは、現場の声を実行に移す、ボトムアップの実行スタイルが支配的である。しかし、ボトムアップはそもそも、戦略があっての物種であり、組織的な目的を欠いた現場志向は、単なる「その場しのぎ」「運だのみ」でしかない。

戦略がない――それはどういうことか? 「腹のくくり方」が足りないのである。「我々はこれで行くんだ」とまず腹をくくってから、アクションプランを立て、実行に移らなければならない。仮に、改革推進派と慎重派が平行線を辿る懸案があったとしても、「これで行く」という判断基準、つまり戦略に照合すれば、選択肢は自ずと決まってくる。

大学業界における多くのアクションに「その場しのぎ」の感が拭えないのは、要するに腹が決まっていないことに根ざすのではないかと見ている。

ではここで、3つの戦略オプションのパターン、「腹のくくり方」を紹介しよう。「拡大多角化」とは、シナジーを期待して学科を増やす、学部間の乗り入れを可能にするなど、関連する新領域へ打って出ることである。

現状のカテゴリーでいえば「総合大学」がこれに当たるだろう。「選択と集中」とは、「ウチは新たにこれに限定し、そこに全力投球しよう」、「陣地確保」は、「今の領域だけで、できるだけ上手くやろう」ということで、単科大学の多くがこのケースに該当するだろう。

ここで強調しておきたいのは、3つのオプションには何ら絶対的な優劣がないことである。つまり、自身に照らし合わせて最良の選択をすることが必要なのである。マーケットを冷静に分析すれば、拡大多角化に勝ち目はなく、むしろ縮小してゆくほうが得策だというような判断が、大学界にあってもいいはず。

総合大学がひたすら陣地確保に、逆に、単科大学が拡大多角化に動いたっていいのである。しかし、今のところそうした方向への目立った動きは、残念ながら見当たらない。

なお、右肩上がり成長期以降に成功・再生した民間企業の多くは、どれかに腹をくくり、スクラップ・アンド・ビルドを行っている。拡大多角化だけが「成長」でも「改革」でもないわけだから、大学にも選択の余地は十二分に残されているといえる。

4つのPとコストカット

まず戦略を決めて、次にどう動くか――それが戦術である。必ず考えなくてはならない二つの分類を挙げよう。
4つのPとは「商品(Product)」「価格(Price)」「場所(Place)」「プロモーション(Promotion)」である。

大学でいえば、正課・課外の教育とサービスが「商品」、学費が「価格」、サテライトキャンパスやeラーニング、あるいは大学そのものの立地条件が「場所」であり、学生募集や広告が「プロモーション」である。戦略に合わせ、これらのうちのどれを自分たちは強化するのか。それをチョイスして組み合わせ、戦術として落とし込んでゆくわけである。

4つのPについての詳細な分析は、稿を改めなければならないが、プライシング(学費)について簡単に触れておこう。
一言でいえば、プライシングだけでも充分な戦術となり得る。携帯電話市場を考えてみてほしい。
当初、その料金体系はシンプルなものだったが、今は利用者の状況や立場、つまりニーズによって非常に多様化している。大学も同じで、例えば、授業ごとの課金などどうだろう。

いい授業には人気が集中し、価格は安くなり、さらにいいサービス(授業)が提供されるというサイクル。反対に、つまらない授業は価格が高騰、不買運動まで起こり、教員はお払い箱――授業評価や人件費の適正化にもつながり得る。他にも、奨学金制度の見直しやバウチャー制度の導入など、価格だけでも工夫の余地はまだまだ存在するのである。

さて、コストカットは大学にとって頭の痛い話だが、これは、人件費に手をつけなければ、抜本的な効果は期待できない。しかし、多くの大学で教員のそれは聖域化していて、最初から棚上げになっている。もちろん、コストカットは人件費だけの問題ではないが、総体として民間に比べれば、大学はまだまだ手緩い。

なぜコストカットが進まないか? これも戦略の欠如によるものが大きい。納得のための縁もなく所得が減ったり、あるいはリストラされたりすれば、誰だって頭に来るし反発もするというものだ。

では、この戦略と戦術を、誰が、どのように決め、いかにして落とし込んでゆくのか――それを理解するには、ガバナンス(統治)の形態と、それに付随したリーダー像の検討、さらに決裁プロセスや権限の整理など、仕組み論からのアプローチも交えて、さらに検証を進めなければならない。

榎原 洋 Ebara hiroshi

慶應義塾大学経済学部卒業後、アクセンチュア入社。
大学・学校法人の他、研究機関、病院、公共交通・運輸業などのコンサルティングに携わる。大学・学校法人においては、募集戦略、新学部学科のフィジビリティスタディ、新規事業戦略、組織再編、人事制度改革、教育プログラム改訂、情報化計画、業務効率化など、多種プロジェクトに従事。

即戦力となるエキスパートをどう育成するか (大阪工業大学)

即戦力となるエキスパートをどう育成するか

国際化時代において、知的財産をめぐる諸問題は、日本にとって年々重要性を増している。
こうした動きに大学はいかに対応していくべきか
――、日本で初めて知的財産学部を設置した大阪工業大学の挑戦に着目した。

遅れてスタートした知的財産戦略

1980年代、家電や自動車といった日本の工業製品は、海外、特にアメリカの市場を席巻した。
ヘンリー・フォードが大量生産方式を導入し、かつて自動車王国の名をほしいままにしたアメリカでは、失業者たちがデモで日本車を破壊するパフォーマンスを行い、貿易摩擦が大きな話題となった。

この時点で、日本は「ものづくり大国」として大きな成功を収めたわけだが、危機感を抱いたアメリカは、80年代以降、特許などの「知的財産」を重視する産業再生策に取り組む。その結果、90年代には、情報技術の分野で見事に世界のトップに躍り出た。

アメリカが復活したとき、日本はどうなっていたか――。
バブル景気の崩壊によって経済が縮小し、製造業においては、高賃金など経営コストがネックとなって、多数の企業・メーカーが、賃金の低いアジア諸国に工場をシフトするようになった。その結果、国内では工業の空洞化問題が深刻化し、今や「ものづくり」だけでは経済が立ち行かない状況に陥りつつある。

その一方で、企業活動の国際化、経済のボーダレス化にともない、発明や特許、模倣品、海賊版などを巡る紛争も国際化し、知的財産権をグローバルな視点で捉えて対応しなければならない時代を迎えた。ところが近年まで、日本では知的財産に関する国家的戦略がなく、何か問題が起こったときには、当事者である個々の企業が対応にあたっていた。つまりこの分野では、国家としてアメリカに二十年の遅れを取ってしまったのである。

求められる知的財産のスペシャリスト

政府の「知的財産戦略会議」は、こうした状況を打破し、「知的財産立国」の実現を目指して始められた。アメリカが、知的財産権に着目して大きく経済を発展させたように、「ものづくり」で以前ほど大きなアドバンテージを持てなくなった日本も、今後は「知的財産」を守り育てていくことによって、経済を活性化させなければならない。もちろん、自国の知的財産を育成し、きちんと権利を保護できれば、国際競争力の強化にもつながる。

平成14年7月に同会議でまとめられた「知的財産戦略大綱」に基づき、同年11月に成立した「知的財産基本法」では、「知的財産の創造の推進」「国、地方公共団体、大学等および事業者の連携と協力」「知的財産の保護、活用」「知的財産に関する専門的知識を有する人材の確保、養成」といった基本方針が謳われている。

これらの方針のうち、知的財産の創造については、各企業や工業系の大学など、従来から存在する組織や人材が取り組んでいける。しかし、知的財産の保護を担当する法律面の専門家育成については、近年まで専門の教育機関がなく、これまでは特許事務所や自治体、企業の知的財産部門等、現場でのOJTにまかされていた。

知的財産が大きく注目される中、現時点でスペシャリストの絶対数が不足しており、各組織は就職後に一から教育しなければならない人材よりも、実務レベルの力を身につけた即戦力を求めている。これは、当然の流れといえるだろう。

日本で唯一の知的財産学部が誕生

こうした情勢のもと、平成15年4月に、日本初の「知的財産学部」を設置した大学がある。大正11年創設の工業学校を起源に持つ大阪工業大学である。同大学は、工学部と情報科学部を軸に、これまで技術者育成に取り組んできた。

「知的財産学部」は法学系の学部であり、理工学系の大学が文科系学部を新設した点も特徴的だが、同大学の狙いは、日本の現状と将来を見据えた先見性に富んだものであった。

「本学が知的財産学部を新設した最大の目的は、日本が知的財産立国として世界に躍進していくためのスペシャリスト育成にあります。知的財産には、著作権や商標権、特許権など幅広い分野がありますが、なかでも工学、情報分野で新しく開発された科学技術の知的財産権を法的に守る役割は、たいへん大きいといえます。

その意味で、理工学系の大学には、常に最新技術の情報があり、これを知的財産学部の教育に随時リンクさせることができるため、即戦力の育成が可能となるのです」
元特許庁のキャリアで、学部長を務める石井正教授は、自信を込めて語る。これは今の日本で求められている人材像であり、現在日本で唯一の知的財産学部をスタートさせた同大学の取り組みは、各界から大きな関心が寄せられている。

大阪工業大学知的財産学部の教育内容の骨子を整理すると、まず、通常の法学部と同様に、民法や民事訴訟法、商法などの基礎知識と並行して、知的財産に関する法律を学ぶ。そのうえで知的財産を保護・活用するための管理、戦略、契約、国際法務等の実務を身につけさせる。さらに、経済や経営、国際的専門家として必要な英語能力、科学技術などを体系的に学び、知的財産のエキスパートを育成するという。

また、知的財産分野の職種は、大きく二つの道に分かれていることから、それぞれの進路の志向に応じた教育も施される。一つは、特許の出願や裁判所での訴訟代理など、さまざまな手続きを行う弁理士や、弁理士のサポート業務などを担当する特許事務所員を目指す方向。

もう一つは、一般企業の知的財産部門に所属して、企業が開発した技術等を出願に結びつけたり、企業が保有する知的財産を活用する専門的な社員を目指す方向である。一期生が卒業するのは三年以上先だが、当初より専門職への就職を見据えた教育プログラムが組み立てられており、学生たちは、卒業後の進路について、しっかりとした展望を持って学んでいる。

企業出身の教員による実務教育

しかし、知的財産のエキスパートを育成するといっても、これまで現場で行われてきたOJTに匹敵する実務教育が、果たして大学の専門教育でどこまで可能なのであろうか。
「本学では、実務家の教員を多数確保しており、実務教育には自信を持っています。

具体的には、国内有数の家電メーカーに30数年勤務し、知的財産本部長を務めた教授や、大手精密機械メーカーで、あらゆるライセンス契約に携わった助教授などが所属しており、学生たちは、ごく最近まで第一線で活躍していた教員から、直接実務や知識を学ぶことができます」(石井教授)

教員に関しては、大学で育った教員のほかに、右に述べた実務家や官僚出身の教員たちが所属しており、まさに「産・官・学」のバランスの取れた構成となっている。今後、三年次のプログラムとして、学生を十数人のグループに分け、一グループに一人、企業の知財担当部長や特許事務所長等を講師につけて合宿を実施する予定だ。

「合宿では、日中はじっくりと実務の勉強をして、夜は講師と学生との懇談時間を設け、いろいろと話し合う機会をつくろうと思っています。そうした人間的な触れ合いを通して、知識だけでなく心の成長も図り、実社会で即戦力となれる人材を育成していくつもりです」

話をうかがうほどに、今後への期待が高まる。もちろん、大阪工業大学にできた新しい学部に期待を抱いているのは、学生自身や保護者も同様であろう。この学部が社会から待ち望まれていた証拠として、初年度は一四〇名の募集定員に対して、約1500名の応募が集まった。最終的に177名が入学したが、知的財産のスペシャリストという明確な目標を持って門をくぐった学生たちは、石井教授の期待以上に努力しているそうである。

女子学生の能力開発と大学改革の視点

さて、大阪工業大学に知的財産学部がつくられた背景には、これまで述べてきた面以外にも、いくつか注目すべき要素があった。その一つは、四年制大学を卒業した文科系の女子学生の就職難の問題である。

「就職氷河時代」という言葉はすでに使い古された感があるが、この問題が今も深刻であることに変わりはなく、たとえ有名大学を卒業しても、文科系学部の女子学生に関しては、非常に就職が難しい状態が継続している。石井教授によると、ここに現代の企業や大学が抱える問題が凝縮されているという。

「女子学生の就職が難しい理由として、企業が女性社員を育てられない、という側面があります。男性社員なら旧来の方法で育成できますが、男性中心の体質が残る企業では、女性の採用に二の足を踏むところも見られます」
ここまでは、現代社会の問題として一般的に指摘されてきた事柄だが、石井教授は、さらに大学の在り方についてもメスを入れる。

「大学の教育も、根本的に考え直す時期に来ているのではないでしょうか。文科系の学部でも、何らかの『専門的能力』の習得をより明確に掲げる教育に取り組まなければ、女子学生を、企業の求める人材に育成することはできません」
要するに、多くの大学、なかでも文科系学部は、ビジネスサイドのニーズに応えられる教育態勢が必ずしも充分ではないということだ。

だからこそ女子学生の就職難が続いているのであり、大学改革の方向性を考えるヒントも、そこにあるといえる。
その意味でも、知的財産学部は、大きな意味を持つ。現在、知的財産分野で働く人の数は五~六万人といわれ、半数は女性であるという。

世界各国の知的財産関連の法律の理解や語学力など、緻密で幅広い知識を体系的に勉強しなければならない知的財産の仕事に、女性は適していると考えられている。文科系の専門能力を身につけた女子学生を育てるという意味でも、知的財産学部は、まさに現代社会のニーズに応えられる学部として期待される。

今後の目標は、在学中に弁理士試験の合格を可能にする高度な専門教育に取り組むとともに、学部教育をベースに大学院の設立を目指すとのことである。

政府は、知的財産に関して、今後十年でアメリカを追い越せるよう取り組む方針だが、大阪工業大学知的財産学部の卒業生たちが、十年後、どのような活躍を見せてくれるか、これからも注目していきたい。

ボクも大学生だった - 藤本義一

大学はおおいに活用して自由に生きよう
藤本 義一

大学に入って、就職して……そんなシナリオが在学中に一変する。
脚本家を目指し、ラジオドラマの懸賞に片っ端から応募する日々。
「懸賞荒らし」と呼ばれた学生時代から、約50年間、一貫してフリーで活動。
卓越した観察眼で社会や日常を次々と斬る藤本義一氏の、大学に寄せる思いとは。

就職のため、大学へ進学

「大学を出て就職し、安定した収入を得る」、はじめはそう考えて、受験した。敗戦の焼け野原は過去のものとなりつつあったが、日本経済が高度成長の途につくまでにはまだ間がある、就職難の時代だった。確実に職を得るためには、大学に行かなくてはならない。病弱の両親は、入退院を繰り返していた。

そこで、日本中で一番学費が安く、自転車で通学できるという理由で大阪府立大学に入学した。当時、授業料は一カ月500円。二日間バイトをすれば、まかなえる金額だった。経済学部に行き、社会科の教員の資格も取った。あとは、卒論を書けばそれで予定通りとなるはずだった。


卒論のテーマが就職をやめるきっかけに

ところが、卒論のテーマに選んだ「日本の雇用問題」が、僕に転機をもたらすことになる。いろいろ調べていくうちに、組織に入って給料をもらうことが、バカバカしくなってしまったのだ。

日本人の平均寿命が42.8歳だった明治34年に決められた「定年(当時は停年)55歳」が、50年以上経っても変わっていなかったこと。本来は基本給に入るべき「ボーナス」や「手当」をわざわざ別枠にして、ありがたいと思えという、権威者の持っている傲慢さ。就職すれば、これらが自分にも降りかかってくる。

このことに気づいてしまった以上、枠の中で束縛されるのはいやだった。そして、子どもの頃から好きだった映画の世界で仕事をしようと思った。

年間700冊の本を読み脚本を書き始める

就職はやめることにした。とはいえ、何のツテもなく、映画界に入る道順がわからない。とりあえず、ラジオドラマの懸賞募集に応募することから始めた。もちろん、最初からうまくいくはずはない。とにかく猛烈に本を読んだ。

一日2冊ずつ、年間700冊は読んだだろう。まず本のストーリーを読み、次に頁をとめて続きが読めないようにして、自分で展開を考えてみる。そんな工夫もした。

何度も応募を続けるうちに、次第に最終選考まで残るようになり、入賞して賞金をもらうようになった。NHKなどは一度入賞すると、二度目はない。次々と民放に応募し続ける。学生時代の最後の頃は懸賞荒らしだった。当時としては、けっこうな額のお金を貯めることもできた。

ラジオドラマから舞台劇、そして映画のシナリオと広がっていき、わが師・川島雄三に出会ったのも学生時代だった。結局、自由業の徒弟制度のなかに飛び込んでいくことになった。

学生の身分は必要だった

脚本を書き始めても、大学を辞めようとは思わなかった。
当然のことながら、時間はない。睡眠時間も四時間ほどしかない。ただ僕のとっていたゼミは、教授と学生が一対一。講義のために大学へ行く必要がなかった。ミナミの喫茶店で会って話し合う。

専攻は農業経済だったが、僕が脚本を書いているのを知っているため、先生から質問を受けて僕が答えるということもあった。この武部先生とは、その後、先生が亡くなられるまでおつきあいが続いた。

それに、学生ならば懸賞金に税金がかからない。生活費・学費を稼ぐのに好都合だった。しかも、何か調べたいことがあると学長の紹介状も書いてもらえる。「この者は本学の学生であるから、資料を提示願います」などという書状を持っていれば、おお威張りでどこにでも行くことができる。利用できるものは利用したほうが得だ。大学生の身分は必要だった。

だから大学は、本当に面白かった。今でも、僕はそういう大学の活用の仕方をしてもいいと思う。そういう学生がでてきたら、教授もきっとのってくるだろう。

大学は独創を教えなくてはならない

毎日何かを意識して好きなことに進んでいったら、大学の四年間ではわからないかもしれないが、何かしら大学で拾うものはあるはずだ。たとえば、中世史を専攻しているなら、教授に向かって自分の中世史観をぶつけてもいい。

それに答えられない教授はもうダメだ。あるいは「いや、君はそういうが、坪内逍遙はこのように解釈している」などというのもいけない。「私はどう解釈しているか」と受けて立たなくてはならない。

独創を教えなくてはならない。そうでなければ、教授の資格はない。しかし、それが足らないような気がする。僕の知人にも大学教授はいるが、ただ名刺に大学教授と刷っていて、安穏としているところがあるように思われるのだ。

大学で教える人間はさまざまでいい

「最近は、誰もが大学へ行くようになり、大学の果たす役割は変わったし、もう変えなくてはならない。純粋に学問を追究し、研究するだけでなく、大学で教える人間も、さまざまな人がいていい。

十数年前だが、詐欺師をモデルにした小説を書くため、北海道の詐欺師ばかりを収監した刑務所を取材したり、いろいろ調べたことがある。

詐欺師になるためには、非常に頭がよくなくてはならない。人間がわからなくてはならない。極端なことを言えば、学生たちに彼らの話を聞かせてもいい。別に犯罪を奨励するわけではない。法律とは何か、人間の心理とは何か。相手の心をいい意味で洞察できる人間になればいいのだ。

あるいは、学歴はなくとも、すごい頭脳を持っている人もいる。これまで、いろいろ取材を続けてきたが、世の中には思わぬところにすごい人がいるものだ。数式は解けなくても、その人が生きてきた五十年、六十年を語らせると、驚かざるを得ないような人がいる。そういう人たちを探しだし、学生たちに聞かせてもいい。

知識だけを教えたって、学生たちはつまらないし、人間の幅も広がらない。人間の頭脳の中には、もっととてつもなく面白いものが隠されている。そんなことを学べる大学ができてもいいと思う。

藤本義一 Fujimoto Giichi

1933年、大阪府生まれ。大阪府立大学経済学部卒業。
在学中より、ラジオ、テレビドラマ、舞台の脚本を書き始める。57年『つばくろの歌』で芸術祭戯曲部門文部大臣賞受賞。74年、『鬼の詩』で第71回直木賞受賞。作家、エッセイストとして活躍する他、65~90年、テレビ番組「11PM」の大阪側司会者を務める。著書に『人生の賞味期限』『人生の自由時間』(岩波書店)、『人生レシピ』(PHP研究所)など、多数。

新しい大学のモデルを目指して~静岡産業大学

構造改革によって地方分権の流れが加速している。
これまでのように中央に縛られることなく、地方が独自性を発揮できる時代が訪れるわけだが、それは同時に地方間の競争が激化し、これまで以上に格差が生まれることも意味している。「地方の時代」を大学はいかに生きていくべきか。
そんな新しい時代のモデルとなるべく、まったく新しい地方大学の姿を提示する静岡産業大学を取材した。

徹底した地域志向で、人材流出にストップをかける

静岡産業大学は、県西部、磐田市と藤枝市に二つのキャンパスを構えている。
学生数2400人という小さな大学だ。いまこの大学に、大学関係者のみならず、産業界や地方自治体からの問い合わせ、視察が相次いでいるという。

それは、徹底して地域に密着しながら、高度な実務型職業人や社会的リーダーを育成するというビジョンに、地元の企業や自治体から多大な期待と協力が寄せられているからに他ならない。

学生は、ほとんど地元出身者だけで定員をオーバーし、その多くは地元に就職する。人材が東京をはじめとした都市部に集中する現在にあって、多くの地方大学が苦戦を強いられているが、なぜ静岡産業大学は、その流れを変えることができたのだろうか。

静岡産業大学の大坪檀学長は、大学の学長としては異色の経歴の持ち主だ。アメリカの大学院でMBAを取得後、ブリヂストンに入社。米国ブリヂストンで経営責任者を務める一方、日本の大学で教鞭も執った。経営学やマーケティングに関する著書も多数ある。

企業の経営感覚を備え、かつ日米の大学事情にも通じた数少ないタイプといえるだろう。それが、この大学の経営を大きく特徴づけている。

地元企業が講師を派遣し、最先端の情報を提供

この大学のセールスポイントの一つに「冠講座」と呼ばれる産官学連携の寄付講座がある。従来、寄付講座といえば、金銭を支援するが講座の内容は大学に任せるのが一般的だったが、静岡産業大学の場合は、企業・自治体から、経営者や社員あるいは首長や職員を講師として招くという新しいスタイルである。

講師を派遣しているのは、電通東日本、静岡銀行、ヤマハ発動機、浜松ホトニクス、磐田市、藤枝市など、静岡を中心とする有力な企業・自治体が名を連ねている。学生にとっては、実社会に身を置く講師から、最先端の知識と情報を、現場の裏話や苦労話も交えつつ直接得ることができる貴重な機会になっている。

しかも、必要な諸経費は、すべて講義を担当する企業・自治体が負担する。なぜこのような画期的な講座が実現したのだろうか。
「それは、日本の教育に対する危機感を企業が共有してくれたからです。私は、アメリカにいる頃から、日本企業は組織としては非常に優れた力を発揮するものの、有能な経営者やビジネスマンでも、個人としての表現力・創造力が乏しく、この点がいずれ日本のネックになるだろうという危機感を持っていました。

このままでは、日本に新しいリーダーは生まれてこない。産官学と地域が一体となって、社会に本当に必要とされる人材を育てていかなければならない。そういう思いをもって、本学の理念とミッションを地域の経営トップにお話ししました。すると多くの企業が共鳴し、意気に感じて協力してくれたのです」と大坪学長は言う。

学内に浸透する「学長方針」

実業界からこれだけの支持が得られたのは、静岡産業大学が、あらゆる意味で「経営の原則」を貫いているからといえる。
まず、意思決定のプロセスが明確である。日本の大学改革が思うように進まない背景には、合議のうえでないと物事が決められないシステムの問題がある。

静岡産業大学では、組織のトップが意思決定権を持つ。組織、人事、予算の大綱は、理事長、本部長、学長の三者によるトロイカ体制で決定される。また、学部の最終意思決定権者は学部長であり、教授会ではない。

学長は毎年「学長方針」を全教職員に配付し、本年度に達成すべき具体的目標を明示する。たとえば、「学生確保対策」では、「2004年度、2005年度は300人、2006年度は330人を確保する体制づくり」を、「女子学生増加対策」では、「全学生数の35%を目標とする増加策」を求めている。

そのほか、「学部の特色づくり」「国際交流活動の促進」「大学院構想」「就職促進プログラム」など、一九項目にわたって方針を打ち出している(2003年度)。各学部では、この方針に基づき、学部長が「学部長方針」を作成する。そして各教員は、今年度に行う教育と研究の実践目標を書いて提出する。こうして学長方針が、現場まで落とし込まれて、各自が具体的に動けるようなシステムができ上がっているのである。

学生と地域のニーズに応え続ける大学

また、徹底した顧客志向も「経営の原則」を踏まえたものである。大学にとっての「顧客」とは学生に他ならない。静岡産業大学では、学生の満足を最大の指標としている。毎年、学生自身の手で「学生満足度調査」が実施される。

そこから見えてきた課題の中で、最も重視しているのが「講義の質」である。「これまで教え方について何も配慮してこなかったことが、日本の大学のレベルを低下させた」(大坪学長)という反省から、ティーチングメソッドの開発に力が注がれている。これは、学内の教授陣が集まり、それぞれの教授法を発表し、改善策を検討するものである。

同様に大切にしているのが、地域のニーズである。静岡ならではのお茶の研究、地域ビジネス研究センターの設置、冠講座の無料公開、高校と提携し高校生の単位認定も行うなど、その斬新さと柔軟性には目を見張るものがある。
「経営学で教えている理論を、実際に行っているだけ。

経営に関しては、企業と比べればそれほど難しいものではない」と大坪学長は言い切る。MBAを持つまったく新しいタイプの学長が目指す新しい大学のモデル。それは、日本の高等教育のあり方に、間違いなく一石を投ずるものである。

横並び意識を捨て、たとえ小規模でも他にはない個性を打ち出すことができれば、大学の可能性はまだまだあるということを示している。
大学トップが独自性と具体性のあるミッションを示し、リーダーシップを発揮して日本に「新しい大学」が次々と生まれることを期待したい。

大学の将来像に信用力を ~私立大学の格付取得~ (格付投資情報センター)

大学の将来像に信用力を ~私立大学の格付取得~

「AAA(トリプルエー)」「BB+(ダブルビープラス)」……。
金融、証券業界の言葉が、大学改革の現場でも聞こえるようになってきた。
大学にとって格付取得は何を意味するのか
――格付投資情報センターに聞いた。

格付けとは何か?

私立大学が格付取得を急いでいる。今年二月に法政大学が「ダブルAマイナス」、四月に日本大学が「ダブルAフラット」、以降、七月に早稲田大学、さらに九月には成蹊大学、大阪経済大学と、有名私立大学が相次いで格付けを公表した。

格付けとは、償還確実性、つまり借りた金に、さらに利子を付けて返せるかどうか、その能力を投資家に対し示す記号である。格付けは資金調達のために起債する際、取得が必須条件となる。なぜなら投資家は格付けを目安に投資を決めるからだ。

格付けは専門の格付会社が行い、有名なところではムーディーズやスタンダード・アンド・プアーズ(S&P)がある。今回、格付けを行ったのは、金融庁の指定格付機関でもある株式会社格付投資情報センター(R&I)で、同社は国内企業の格付けで最大のシェアを誇っている。


格付取得の意味

格付取得ブームは何を意味するのだろうか。私立大学は、それほどまでに資金調達を急がねばならないのだろうか
――R&Iシニアコンサルタント・鈴木淳史氏は、次のように分析する。

「制度は違うのですが、アメリカではすでに、多くの大学がムーディーズやS&Pから格付けを取得しています。わが国の学校法人も、そうした動向はすでに研究済みで、もともと関心はあったはず。
そこに、少子化からの危機感、ディスクロージャー(内容開示)、財務の健全化など時代の要請が後押しし、格付けが具体的なものになってきたのだと思います。まずは、ステークホルダー(学生や教職員など)への情報開示、経営力のアピールから、といったところでしょうか」

実際のところ、わが国における学校法人が格付けを取得し、起債したとしても、それは有価証券にはならず、資金調達のためには特定目的会社(SPC)の設立や信託の利用など、コストと時間がかかる。

法政大学も「格付取得の趣旨」を、学校法人として「開かれた大学」のイメージアップ、第三者による本学の財務・経営分析的な側面の評価、資金調達手段の多様化とし、PRの要素を否定していない。

大学格付け四つのポイント

大学格付けにおけるポイントとして、R&Iシニアアナリスト・下山直人氏は、「納付金収入の動向」「納付金以外の収支の動向」「ストック」「ガバナンス(統治)・マネジメント」の四つを挙げている。

「納付金収入の動向とは、要するにお金が安定して入ってくるかどうか。最も重視するのは、学生を集める力です。そして、納付金以外のフローとコスト構造を見ます。

ここでは、帰属収支差額を重視しますが、要するに、企業でいうところの赤字・黒字です。ストックは、将来に備えてどれくらい着実にお金を貯めているか。

ガバナンスの部分では、それぞれの大学でターニングポイントとなる局面で、何をどう判断し、実行したか。また、将来何をしようとし、それは実行可能かどうかなど、実行力とバランスを考慮します」

さらに、格付けのための調査では、財務諸表などの会計資料をはじめとする膨大な資料の分析とともに、大学幹部および法人との面談が欠かせないという。

「学校法人の場合、帰属収支差額の水準だけで評価はできないし、聞かなければならないことも多い。実際にディスカッションすることによって初めて見えてくるものがたくさんあります」(下山氏)

安定性というメリット

現在公表されている五大学の格付けは、世界に名だたるグローバル企業と肩を並べている。こうした高い評価は「教育事業体の安定性に裏付けられている」と下山氏は説明する。

「学生の入学後、少なくとも四年間は一定の納付金収入が見込める。また大学設置基準に一定の財務条件があり、財務規律も守られている。さらに、教育という事業自体に起因するリスクも、一般事業会社のそれに比べれば少ない。学校法人という業態の安定性とリスクは、格付けに少なからず影響を持ちます」

IT関連事業は一年後にどうなっているかわからないが、教育はおそらく百年後も教育としてあり続けるであろうというわけだ。鈴木氏が続ける。
「そもそも我々の仕事は、主としてプロの投資家に向けて、投資対象の将来像、我々の言葉でいえばクレジットストーリーを描き、信用力を提示することです。

大学格付けも同じで、経営幹部へのインタビューや資料の分析を通し、大学の将来像を厳正な視点で査定しているのです。その意味では、日産より大学に貸したほうが償還確実性は高いが、さらにいえば、大学よりトヨタやデンソーに貸したほうが、もっと高くなるのではないですか、と我々は見ているわけです。つまり、格付けは格付けであって、それ以上でもそれ以下でもないのです」

効率性と透明性の追求

R&Iでは「格付取得の相談・訪問件数はすでに六十~七十程度。
年度内にあと五、六校ほど公表できるだろう」としている。

誤解してはならないのは、鈴木氏の言葉の通り、格付けはあくまでも投資上の指標の一つであって、大学そのものの優劣を表すものではないということである。

しかし、1999年度から大学の自己評価が義務化され、来年度には、第三者評価が義務づけられる見通しである。評価の受け入れは、大学にとってもはや必須の要件であり、格付けも、いわば「もっとも厳しい」第三者評価として、大学サバイバルに大きな効果を上げることだろう。
効率性、透明性の追求は、民間企業だけでなく、大学にも求められているのである。

大学は、問題解決力を育成する「場」になり得るか (精神科医 和田秀樹)

大学は、問題解決力を育成する「場」になり得るか

大学全入時代を目前にして、いま日本の大学の存在意義が問い直されている。
止まらない学力低下、ブランド価値の低下、産業界からは即戦力の要望
――変化する教育環境に大学はどう対応し、どう変わるのか。その方向性を探る。

精神科医 和田秀樹

変わり始めた大学の「価値」

昔と違って、今は「大学で勉強しないといけない時代」とよく言われる。
もちろん、これにはいくつかの背景があるが、ここでは次の三点を挙げておこう。

学校名より能力重視のビジネス社会
仮に東大を出ていても、就職の際は多少有利でも、定年まで面倒を見てくれる保証がなくなった。
また、会社だっていつ潰れるかわからない。さらに、終身雇用の時代と比べて、会社に入ってから新入社員を教育していくというスタンスから、入る前から力のある人がほしいというスタンスに企業のほうも変わってきた。

企業内で教育するつもりであれば、やれば伸びるポテンシャルや、努力する能力を見ればいいのだから、受験で入るのが難しい大学の人間をとっておくのが無難だった。
しかし、即戦力がほしいのなら、大学できちんと勉強をし、経済学なら経済学をきちんと身につけた人間のほうがありがたいだろう。

実際、学校名があてにならなくなってから、東大法学部の学生も、大部分が司法試験や公務員試験の予備校に通う。そして、東大卒の司法試験の合格者は景気が悪くなってから二倍ほどに増えている。


歯止めのきかない学力低下
昔のように高校卒業時の学力が世界一であったり(もちろん平均してのことであるが)、大学入学がきわめて難しい時代であれば、大学に入ってからろくに勉強していなくても学力はあてにできる。

たとえば仕事で英語を使わざるを得なくするとすぐにできるようになるし、基礎的な数学力があるから、経済のことや数字を使う仕事でもすぐ飲み込めるということが、ほとんどの大卒者に期待できた。

しかし、現在では早稲田、慶應クラスの大学の学生でも受験時に数学をとっていなければ、二割が分数の計算もできず、七割が中学レベルの二次方程式が解けない。また、以前から成績の悪かったTOEFLの成績も、現在ではかの北朝鮮と並んでアジア最低になっているが、聴き取り以上に、「語彙と読み取り」「構成と書き取り」の得点で諸外国に差をつけられ、最下位の座に甘んじている。

そうでなくても、学力低下が進んでいるのに、ゆとり教育の施行でさらなる学力の低下が予想されるし、少子化と大学の定員増のために2009年には大学の志願者数と定員が逆転する。

このような状況下では、雇う側も「大学に入った」「大学を出た」だけでは能力を信用しないだろう。大学でちゃんと勉強しない人間は企業には商品価値がなくなったのである。


大学の「高校」化
大学進学率五割の時代では、大学卒は高学歴者とはいえない。
最近になって日本でもロースクールが創設されることになったが、おそらくは、これだけにとどまらないだろう。

アメリカのように、ビジネススクールやロースクールのようなグラジュエートスクールを卒業していなければ高学歴者とみなされない社会が、日本に到来する可能性は大きい。

そうなると大学は、日本の旧制高校のような位置づけになるだろう。そこで勉強をして、グラジュエートスクールに入れなければ、高学歴者ではないというわけだ。
しかし、これらのさまざまな変化以上に問題になるのは、これからの時代に必要とされる能力が変化することだろう。

新しい時代に必要な学力とは

旧来の受験学力では古いとよくいわれる。
だからこそ、これからの時代に通用するような学力をつける必要があるのだと。

しかし、このような言説が多い割には、その新しい学力や能力とはどんなものかも、あるいはそれを創造性とか、生きる力とかさまざまな形で(しかも何を意味するかわからない漠然とした形で)語られるにしても、それをどのように身につければいいのかも論じられることは少ない。

私自身は、獲得目標をはっきりさせなければ、それを身につけるためにどのような勉強や努力をすればいいのかわからないし、現実にそれが身につかないと考えている。
そこで、私が目標とするこれからの時代に必要とされる能力のモデルを提示したい。

人間の情報処理過程をコンピュータになぞらえて研究する学問に認知心理学がある。脳科学が脳のハード面を研究する学問であるのに対して、ソフトを研究するのが認知心理学だ。

パソコンなどの発達によって、人間の頭のよさを規定するのはハード面よりむしろソフトの能力ではないかと考えられるようになって、この認知心理学が注目されている。

認知心理学で重視されるのは、問題解決能力である。実際、コンピュータでも演算速度が速い、ハードディスクが大きいということより、いろいろなことに使えるほうが便利でいいコンピュータということになるが、人間でもいろいろな問題が解決できるほうが頭がいいと考えていいだろう。

人間の抱える問題は多岐にわたる。たとえば、営業の仕事では、売上げを倍にするのも問題である。あるいは、同じ人があと三日で1000円しかお金が残っていないで、それをやりくりするのも問題である。もう少し長期的な問題として、来年の春までに資格試験に合格したいという問題もあるかもしれない。

認知心理学の考え方では、人間の脳は無から有を産まないと考えられている。
要するに脳にソフトがインプットされていないのに、天からひらめくということはないのだ。
そのために人間は、問題解決のために脳にインプットされた知識を使って推論を行うとされる。要するに知っていること、身につけたことを用いて、あれこれとあてはめてみて解答を出すというわけだ。

そう考えると知識というのは豊富であるに越したことはない。そういう点では、かつてから詰め込み教育といわれた日本の教育はけっして悪いものではないことになる。
実際、勉強もしないで、知識も身につけないで独創的なアイデアはそうそう出るものではない。

現実にノーベル賞を取るような学者は、最近、田中耕一さんのような例外が出たが、原則的に大学院レベルの教育を受けている。音楽でも絵でも小さい頃から基礎的なトレーニングをみっちり受けてきた人が独創的なものが創れるように、頭にインプットされたものが多いほど、問題解決のバリエーションが広がり、「頭がいい」ことになる。

知識教育をベースにした問題解決力の育成を

私が考えるに、日本の教育でこれまでまずかった点は、詰め込み教育を行っていたことでなくて、詰め込んだ知識を使って、考えない、推論を行わない、問題解決を行わないということではないだろうか。

もちろん、高校までの教育でも、数学などは、これまで解いた問題の解法を用いて、別の問題を解くという作業を行う。これはまさに問題解決である。あるいは、入試小論文などは、身につけた知識を用いて、情勢を考えるなどという問題も出される。

そういう基礎的なトレーニングを積み、基礎的な知識を身につけた後、それをもっと用いて推論を行うべき勉強の場が、大学なのではないかと私は考えるのだ。
実際、アメリカの大学教育やとくにグラジュエートスクールの教育では、ディスカッションや得られた知識や情報を用いてのシミュレーションやレポートが重視される。

しかし、日本では大学に入っても大教室で一方的に知識を伝える教育が主流だ。
実際、日本の高校までの教育は、80年代までは諸外国の垂涎の的とされ、米英などは日本の教育をモデルにしたとされる。

高校までの詰め込み教育は世界のモデルであったのに、それを変えようとした。その一方で、どこの国にも相手にされない大学教育はこれまで通りというのが日本の教育の実情だ。

大学がやってくれないのなら、せめて自衛のためにでも、これまで得た知識を用いて考える習慣をつけることが、大学の学び、大人の学びの第一歩だと私は信じる。

和田秀樹 Wada Hideki

精神科医。東京大学医学部付属病院精神神経科助手を経て、1991~94年アメリカカールメニンガー精神医学校に留学。老年精神医学、精神分析学(特に自己心理学)、集団精神療法学を専門とする。

日本初の心理学ビジネスのシンクタンク、ヒデキ・ワダ・インスティテュートを設立し、代表に就任する。主著に『痛快!心理学』(集英社インターナショナル)、『女性が元気になる心理学』(PHP文庫)、『〈自己愛〉と〈依存〉の精神分析』(PHP研究所)、『壊れた心をどう治すか』(PHP新書)、『多重人格』(講談社現代新書)などがある。

現在、心理学、教育問題、老人問題、能力開発、大学受験などのフィールドを中心に、テレビ、ラジオ、雑誌や数多くの単行本を執筆し、精力的に活動中。

●和田秀樹ホームページ http://www.hidekiwada.com/