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学生のための改革で、教育責任と質の保証を果たすことが知識基盤社会構築を担う大学の役割

独立行政法人大学評価・学位授与機構教授
文部科学省中央教育審議会委員
荻上紘一

第五期を迎える中央教育審議会の答申には、「学士力」確保の方針が示されている。国際的に見て、日本の大学はどういう位置にあるのか。グローバル化が進む中、日本の大学は今後どう変わっていく必要があるのか。現状の問題点と将来の大学像について、中教審委員を務める大学評価・学位授与機構教授の荻上紘一氏にお話を伺った。


履修主義から修得主義へ学生のための改革を

――中教審の答申が示した「学士力」は、現在の大学のどのような背景を踏まえているのでしょうか。
荻上教授(以下敬称略) 大学改革が盛んに叫ばれていますが、改革というものを誤解し、そもそもの方向設定を誤っている例もあるようです。改革といっても、現状を変えればいい、何か新しいことをすればいいというものではありません。大学の教育はひとえに学生のためにするものであり、当然、改革も学生のために進めるべきです。ひと昔前は、大学の組織や、教員の既得権益を守るための改革さえありましたが、最近では、幸いなことに「学生のために何ができるか」という考えが定着してきているようです。

例えば、FDです。かつて、大学進学率が10%台だった時代の学生には高い学習意欲がありましたから、大学の授業を聞いて、その内容がよく分からなくても、「難しいことを学んでいるのだから、今分からなくて当然だ。よし、勉強しよう」という姿勢でした。大学生は自分で勉強するものだったのです。そうして先生の背中を見て、学生はついていきました。

しかし、大学進学率が50%近い今は、「いかに大学生に勉強させるか」を考えないといけません。どれだけ教える中身が立派で、先生が人間的に魅力のある人でも、それだけでは学生は勉強しません。「大学は立派な研究者をそろえさえすればいいのだ」という時代ではありません。大学は、いかに学生に学習意欲を植えつけて、しっかりと教育するかを考えなくてはならなくなっています。二人に一人が大学に行く時代だからこそ、大学の教育の質的保証がますます大事になっています。

国全体の知的レベルを上げるという意味で「知識基盤社会」という言葉が使われるようになりました。大学は、もはや一部のエリートが学ぶ場ではありません。知識基盤社会を構築するために、今の大学には、「受け入れたからには責任を持って教育をし、高い品質を保証して世に送り出す」ということが求められています。

以上のような背景から、中教審の今回の答申では「学士力」について触れています。「学士という学位を与えて学生を世に送り出す上で、大学として最低限これだけの力をつけさせよう」という参考指針です。以前、東京大学の卒業式の告辞で、当時の蓮實重彦総長が、「学士の品質保証期間はせいぜい3年、長くても5年」とおっしゃいました。そこまでは大学が責任を持って教育したが、その先は自分で努力を続けなくてはいけない、というメッセージでした。しかし、現状は、残念ながら、卒業の時点ですでに品質を保証できない学士も少なからずいます。日本に750以上の大学があり、一方では少子化が進む中で、学士力の保証はますます重要になっていきます。

大学で学ぶ内容のバランスも大事でしょう。大学教育というと、専門教育に力を入れる傾向があります。「くさび形」といって、経済学部の学生には経済学を、工学部では工学をと、初年次から専門教育をしがちです。しかし、専門教育の土台となる一般教養にも力を入れるべきです。学士力は、「どの専門でも共通して身につけるべき力」です。

また、「履修主義」から「修得主義」への転換も必要です。「日本の大学は入るのが難しく、出るのが易しい」とはよくいわれていることですが、OECDの中で日本の大学の卒業しやすさはダントツです。我が国の大学から卒業証書の〝自動販売機〟を排除しなければなりません。大学には厳格な成績評価が求められています。しかし、成績評価の厳格化を、それぞれの大学が個々に進めるというのでは、現実には難しい。少子化で大学同士の競争が激しくなっている中で、「留年させられるような大学には入りたくない」という学生の選択も働きうるからです。したがって、大学の成績評価の厳格化を、全国一斉に行うべきだと考えます。

何を教えたかではなく、何ができるようになったかで評価する、つまり、修得主義で学習成果を測るのです。国際的にはすでにそのような評価の流れに変わってきています。これまでの日本の履修主義だと、教室に行って黙って座っていればいいということになりかねません。履修主義から修得主義への転換は、小学校から始めるべき課題だと思います。

学士力の答申には、学士の最低基準などが盛り込まれています。それを参考にしていただくことで、大学改革がよりよい方向へ進むものと期待しています。そうして学生のための大学改革が進めば、知識基盤社会という言葉に実質的な意味が伴ってくると思います。

「留学生30万人計画」ではまずハード面の整備が必要

――政府は「留学生30万人計画」を打ち出しています。今後、より多くの留学生を受け入れるための大学改革も必要になりそうです。
荻上 留学生の数を増やすことも大事かもしれませんが、それよりも質の向上を重視しなくはいけません。たくさんの留学生に来てもらっても、結果が「日本に留学してよかった」「よい学生を受け入れてよかった」とならないと、かえってマイナスではないでしょうか。「留学生30万人計画」の財政的支援とともに、質保証の具体策も早急に検討すべきでしょう。現時点で、日本へ来る留学生に対する教育環境は、諸外国と比べて決してよいとはいえません。

留学生宿舎などのハード面の整備が、アメリカなどとは比較にならないほど不十分です。アメリカだと、留学生が住居探しで困るということはまずありません。ところが、日本の場合は、留学生を受け入れる教員が下宿探しを手伝わなければならないケースも珍しくありません。現時点で国や大学が用意している宿舎と、今後受け入れようとしている留学生の数との間には、相当大きな開きがあります。

まず、宿舎の問題を解決しなくてはなりません。複数の大学の共同宿舎をつくるのもよいでしょうが、学風を大切にするために独自に宿舎を持ちたいという大学もあります。しかし、宿舎の建設には多額の資金が必要です。民間の力を借り、宿舎の拡充を図る道もあります。国が留学生を増やすという方針を掲げる以上、国の投資も必要でしょう。

現在のような世界的経済危機においては、留学生に対する経済的支援も視野に入れなくてはならないでしょう。日本の慣習として、受け入れは積極的にするものの、あとは当事者の努力に任せるということがよくあります。かつて、大学が障害者を積極的に受け入れるようになったとき、受け入れるだけ受け入れて、あとは教員や学生のボランティア精神に任せ切りという大学も中にはありました。

「留学生30万人計画」で、それと同じ愚を繰り返してはいけません。受け入れるからには、宿舎や財政的支援を含め、学位授与までの各種条件を整えた上で受け入れるべきです。
一番大事なことは、留学生から見ても魅力のある質の高い教育を提供することです。留学生向けに英語で授業を行うという考えもありますが、私はその意見に単純には賛成できません。留学生が英語で授業を受けられる仕組みを整えたとしても、本当にそれだけで多くの優秀な留学生が来るでしょうか。特に文系の授業の多くは日本語で行わないと意味がないと思います。

英語で授業を受けたい学生は、アメリカやイギリスなど英語圏の国への留学を第一に考えるでしょう。日本が留学生の受け入れを増やすのなら、ぜひ日本で学びたいという意欲を持つ学生に来てもらいたい。

そう考えると、英語による授業を提供する方向へ向かうのではなく、日本語教育を充実させるべきではないでしょうか。例えば、アメリカの大学には、留学生向けの英語研修コースがあります。日本の大学も、半年から1年、しっかりと日本語を学んでもらってから、それぞれの専門へと進んでいくシステムをつくるべきだと思います。英語圏の大学より質の高い教育を(日本語で)提供することが、多くの優秀な留学生を日本に引きつける道ではないでしょうか。

とはいえ、英語による授業を売りにする大学があることはよいことだと思います。例えば、秋田県の国際教養大学(AIU)は、すべての授業を英語で行い、質の高い教育を提供することにより、高い評価を得ています。
これからの大学は、それぞれの大学が個性を持ち、その強みを伸ばしていくという考えに徹するべきでしょう。その上で、大学それぞれが強みを持ち寄り、協力してより質の高い教育を提供する。文部科学省が戦略的大学連携支援事業を始めていますが、機能別分化と大学間連携は表裏一体で進めるべきものだと思います。大学の個性がはっきりしてこそ、連携が活きてくるからです。

かつての大学は、「本学に入ったからには、本学の提供する授業で学んでください」という考え方でした。しかし、隣の大学に興味深い授業があるのに、それを受けられないというのは、学生にとって非常に窮屈な教育環境です。「学生のための改革」を考えると、学生が学びたいなら、それが他の大学の提供するものでも学べるようにするのが自然です。それがまた、大学全入時代の学生の学習意欲を高めることにもなるでしょう。

近年は大学間の競争が厳しくなっており、「競争的環境の中で個性輝く大学をつくる」ということが盛んにいわれてきました。しかし、中教審の今回の答申から、「競争と協同の調和」という方針に変わっています。学生のための高等教育を考えるなら、各大学が機能別分化で個性を際立たせ、互いに協力して強みを持ち寄る連携事業は、これから非常に重要になっていくと思います。

知識基盤社会構築のために日本が今なすべきこと

――未曾有の経済危機と呼ばれる今、各界が目先の問題の対応に追われがちです。知識基盤社会の構築という目標に向け、大学はどのような展望のもとに行動していけばよいとお考えでしょうか。

荻上 大学とは、自主的・自律的な運営のもとに高度な教育と研究を行い、学位を授与する機関です。人材を世に送り出す上で、高度な教育と研究を前提として、質の保証をしなければなりません。そうして大学が育てた優れた人材が、知識基盤社会を支えていくのです。小泉元首相の「米百俵」発言で有名になった、長岡藩の大参事・小林虎三郎の言葉を借りれば、国が栄えるのも、国が衰えるのも、すべて教育にかかっています。大学の責任はますます重くなっています。

大学が知識基盤社会を支えるということを考えると、大学がもっと開かれた存在になる必要があるでしょう。大学とは18歳で入学して、22歳で卒業するものだと限定的に考えず、学びたい人が、学びたいときに、いつでも学べる場となるべきです。社会に出ても、勉強したくなったら帰っていったり、家の近くの大学に入ったりすることが、気軽にできるようになるといい。

諸外国と比較すると、日本の社会人学生の比率は非常に低い。日本の教育には、先ほどいった履修主義に加えて、〝年齢主義〟もあります。これは大きな問題です。私は企業の方々によくこんなことを申し上げます。「完成品を受け入れるという考え方をやめて、荒削りな若者を受け入れ、企業の仕事を通して磨き、『この人にはこういう専門的能力を身につけてもらいたい』と判断したら、積極的に大学へ派遣してはどうですか」と。企業の方々はたいてい「そんな余裕はない」とおっしゃいますが、知識基盤社会を構築していくには、企業も柔軟にならなくてはならないと思います。

開かれた存在とはいえ、入学者の選抜は厳格に行わないといけません。現在、大学生の約4割が、推薦入試やAO入試などで入学しています。このAO入試は「Admission Office」の頭文字で、本来は丁寧な選抜を行うという趣旨でした。もちろん、そのようにきちんと行っているところもありますが、現実には受験生のほとんどが「学力不問」で入学しており、「実態はALL OKだ」と揶揄する向きもあるのです。

現在、大学入試センター試験とは別の「高大接続テスト」の可能性を議論していますが、大学生の半数近くが、ほぼフリーパスで大学に入っているという現状をなんとか変えていかないと、大学の質の保証は到底できません。

大学の質の保証をしていく上では、目標設定も重要です。どのような人材を育成するかという目標をきちんと設定し、そのために必要な教育内容・方法を定め、その教育を受けてもらうために、どのような学生を受け入れるべきかを考える。これまで目標設定をきちんとしてこなかった大学が多いのではないかと思います。より具体的に目標設定をし、それを達成するためのカリキュラムを用意する。そして、そのカリキュラムに合った学生を受け入れる。

中教審の今回の答申は、まさにこの重要性を強調しています。答申の趣旨をよく理解していただき、教育改革を進めていただければと思います。
質の保証のためには、第三者評価の役割も一層重要になります。第三者機関が大学の教育の質をきちんと評価し、高い評価を受けた大学には、国が財政支援をしていく。国立大学への運営交付金や私立大学への私学助成金は、すべての大学へ一律に与えるのではなく、評価に基づき、差をつけるべきだと思います。ただし、そのためには高等教育に対する公財政支出を倍増することが前提です。日本の大学が国際的に高い評価を受けるようになるには、そこまで抜本的な改革を進めていかないといけないと思います。

今の日本の政府は、財政事情が苦しいといって、教育投資を減らしています。しかし、「財政窮乏の折だからこそ、未来のために教育に投資せよ」というのが先ほど述べた小林虎三郎のいう「米百俵」の精神です。国内の学生に対する奨学金も、給付はまれで、貸与がほとんどです。昨今は奨学金に対する風当たりが強くなり、民間に任せればいいという声さえあります。しかし、人材は国の財産です。教育による利益は本人が受けるだけでなく、ひいては国の利益となります。経済的理由により大学で学べない優秀な人材に対する支援を、〝受益者負担〟という論理で総括して果たしてよいのでしょうか。

現在の状況が「米百俵」の精神とは逆へと向かっているとすれば残念なことです。日本の未来を考えるならば、教育にこそ各界の英知を集め、投資をするべきなのです。

荻上紘一 Koichi Ogiue

1963年東京大学理学部数学科卒業。東京工業大学助手、東京都立大学助教授、ミシガン州立大学客員助教授、ハワイ大学客員教授、東京都立大学教授、グラナダ大学客員教授、東京都立大学理学部長、東京都立大学総長、公立大学協会会長などを歴任し、2003年より独立行政法人大学評価・学位授与機構教授。東京都立大学名誉教授。理学博士。

大学改革提言誌「Nasic Release」第19号
記事の内容は第19号(2009年6月1日発行)を抜粋したものです。
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