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大学改革と教育の可能性

~「持続可能性(サスティナビリティ)」の時代における大学の在り方~

独立行政法人 産業技術総合研究所
理事長 吉川弘之

あらゆる学問分野において細分化と縦割りが著しく進展したことにより、さまざまな分野で齟齬が生じてきた。

新しい時代の精神「サスティナビリティ」の中での大学の在り方、教員の在り方、学長のリーダーシップを問い直し、次代に向けた改革を断行しなければならない。


◎聞き手
学生情報センターグループ 代表 北澤俊和
株式会社学生情報センター 社長 西尾 謙


人類の真理追究の道のり

北澤 ご著書の中で、教育とは「知識の伝達」であり、教育の改革は、教育すべき内容の変化に対応して行われるべきだと述べておられます。詳しくお聞かせいただけますか?

吉川理事長(以下敬称略) 教育改革について考えるには、まず学問や科学の歴史を、大きな流れの中でとらえ理解しておく必要があります。15世紀から17世紀にかけ、ヨーロッパ人が盛んに船舶で世界中を巡った「大航海時代」と呼ばれる時期がありました。当時、物理学はまだ幼い段階にあり、地の果てがどうなっているのかは判明していませんでした。その未知の世界に勇敢に挑んでいき、地球が丸いことを実証したわけですが、これはつまり「探検の時代」であったと表現できます。

この「探検して真理を追究する姿勢」が、「時代の精神」となって世界に浸透し、その後の科学の発展を促します。地球の探検とは、本質的には「遠くを見ようとする行為」であり、探検の延長は、さらに遠くにある宇宙を探る天文学に繋がります。

天体観測には「望遠鏡」を用いますが、これは時代とともに進化し、今やパラボラアンテナのような巨大な曲面を使った「反射望遠鏡」がつくられ、遠くの星まで見られるようになりました。さらには、地球上では大気によって像がぼやけてしまうということで、人工衛星による天体観測が行われるようになり、ほとんど宇宙の果てまで見えるという、究極に近いレベルまで進歩しました。

一方で「顕微鏡」というものがあり、こちらは物質を拡大して細部を観察し、真理を追究する目的で使用されます。顕微鏡を使った学問が物理学ですが、ここでもやはり「探検の精神」が根底にあるのです。つまり物理学も天文学と同様、「大航海時代」の精神に繋がっています。顕微鏡も進化し、今では原子が整列している様子まで見えるようになりました。こうして、この数百年の間に、人類は世界の真理を果てしなく追究し解明してきたのです。

北澤 つまり科学の世界においては、すでに真理追究の、ほとんど最終段階まで到達しつつある。
吉川 そう言っていいと思います。さて、教育および教員の在り方ですが、こちらも近年大きく変化してきました。

本来、学問とは、大航海時代の精神そのままに探究し続け、進化すればするほど「細分化」が進んでいくものです。学者が研究を深めるためには、どうしても範囲を狭める必要があるからです。

東京大学を例に説明すると、東大には約6000名の教員がおり、学問の分野もそれに応じて約6000あります。さらに、一人の教員は平均して10ほどのテーマ研究を進めているのですが、例えばある教員が一つの論文を書き終え、そのテーマを究めたと思っても、たかだか6万分の一を知ったにすぎないわけです。もちろん、学問を深めること自体は素晴らしいのですが、見方を変えれば、狭いテーマでいくら論文を書き連ねても、世界全体についてわかったことにはならないのです。

ここに教育上の大きな問題が発生します。学問が極限まで進化したことによって極端な細分化が進み、個々の分野の知識においては、人間の生きる意味や意義と重なる部分が非常に小さくなってしまいました。

生きていくという行為は「全的」なものであり、学問の部分的な知識とはまったく違います。つまり、現代に生きる若者が求めている「全的な知識」とのギャップが広がっているのです。その結果、学生にとって教員という存在は、昔のように憧れたり目標にする対象ではなくなり、むしろ「なりたくない」と思われることのほうが多くなってしまったのではないですか? こうした基本状況の変化に、まず教員自身が気づかねばなりません。

西尾 学問の進化が、結果的に教育面ではマイナス要素を生んでしまったというあたりに、教育改革の方向性を探るヒントがあるように思われます。
吉川 もう一つ、学問や科学の進化が地球環境に与えた影響について確認しておきましょう。

 物理学の研究が進むことにより、次々と新しい物質や知識が生み出され、それを使った装置が発明されてきました。例えば熱に関する知識が増えたことによって、熱機関が進化してきたように、自動車や航空機、情報機器やロボット工学など、あらゆるジャンルにおいて、新しい知識が新しい装置、つまり「人工物」をつくり出してきたのです。

ところが人工物は、それぞれ「狭い学問」を基にしてつくられたため、全体という観点が欠落しています。全体を見ずにつくった人工物が地球上に充満したことによって、一つひとつは人類の役に立つ装置であるにもかかわらず、結果的に地球環境の破壊に繋がってしまった。人間が自然から離反してしまった基本的な構造が、ここにあります。

 今起こっている環境問題は、人間の知識、つまり科学の進歩が原因で引き起こされたものなのです。この問題を、私は比喩的に家と自動車を使って説明しています。家は建築家がつくるものであり、建築という一つの分野の中で発達してきました。

一方、自動車は、機械工学という分野の中でつくられて発達してきたものです。それぞれ別々にできたものでありながら、両者は人間の生活の場で出会うわけですが、分野が違うだけに、共存しようとすると矛盾が生じます。家と自動車が出会う場所はガレージ。このガレージは、家の一部でありながら物置のようであったり、あるいは暗い地下室であったりと、どうも美しくありません。

なぜかというと、家の概念と自動車の概念との境界にあるはずのガレージの概念がなく、この部分の知識が抜け落ちているからです。
このように、人間が持つ科学知識には「欠落箇所」がたくさんあり、分野の違う人工物と人工物との間では、矛盾した関係が至る所で生まれています。繰り返しになりますが、狭い学問でつくられた人工物が、究極を求めて進化していくうちに、自然の姿とはまったく違うものになり、それらがいつの間にか自然環境を破壊してきたという図式が成り立つのです。

探検の時代から温存の時代へ

北澤 そうした問題を受け、教育や学問はどのように変化していくべきでしょうか。
吉川 ここで冒頭の話と繋がるのですが、従来の学問・科学は、究極の真理を追究する「大航海時代」の精神によって進歩してきました。そして極端な細分化を伴いながら、究極のレベルまで発達した一方で、さまざまな矛盾や自然環境の悪化といった問題を引き起こしてしまいました。

こうした状況の変化を受け、学問・科学のテーマも変わっていくべきなのです。世の中が学問に何を求めているかを考えたとき、「持続可能性(サスティナビリティ)」という言葉がありますが、真にその意味を考えている大学人が何人いるのでしょうか。

時代の精神が変わってきたのです。15世紀の大航海時代の精神での学問や科学が環境破壊を起こしたのだとすれば、今後の時代の精神は「サスティナビリティ」で、この地球をできるだけ温存していこうというのが目的となり、まったく違うわけです。今の学問は未知のものを探検しようとする学問しかないのです。

その意味で人類は今、ようやく学問の半分をやり終えたところだと言えます。
いわば残りの半分をつくっていく時代に入ったのですから、学者たちはそれをまず意識しなければなりません。自分の能力をすぐに変えることはできませんが、こうした「時代の精神の変化」に対して、培ってきた能力をどのように役立てていけるかを計画し、それを自分の研究課題とした上で、さらに教育体制に組み込んで、学生を育てていかねばなりません。それが実現できれば、新しい時代の精神に対して大学が社会に発信し、学問や科学を変えていくことができるのです。

学長のリーダーシップとは

北澤 吉川先生は地球規模の問題や学問の歴史的背景を踏まえ、教育問題について考えてこられたわけですね。そうであってこそ、本当に意味のある改革が可能であることがよくわかりました。さて、具体的に大学改革を進めていくには、やはり学長のリーダーシップが不可欠だと思いますが、東大総長を務められたご経験から、先生のお考えをお聞かせください。

吉川 本来、大学というものは、一人ひとりの教員が、固有の教育理念や信念を持ち、手塩にかけて築き上げてきたオリジナルの学問を、情熱をもって学生たちに教える、という大儀によって成り立っています。つまり個々の教員の「学問の自治」というものが存在するわけです。

それだけに、学長がリーダーシップをとって何かを変えていこうとするとき、大学は非常に難しい組織だと言えます。企業であれば「利益」がなければ存在しないわけです。「利益」が完全な真理であり善ですから、トップのリーダーシップの下、全従業員が動いていくことが可能です。しかし大学は、個々の教員が持つ教育理念や宝物として持っている学問を、情熱をもって教育する。これが大儀なのです。したがって、学長のリーダーシップが非常に難しいのです。

だからといってリーダーシップのない大学もまた存在し得ず、バラバラの寺子屋でいいかと言えばそうではない。したがって、学長には強いリーダーシップが求められるのです。

難しいけれど、大学のリーダーシップと企業のリーダーシップは違うのです。学長のリーダーシップの本質は、「確固たる思想」ではないかと私は考えています。すべての教員を説得できるだけの思想や哲理を持つことによって、「なるほど、そういうことなら一緒に協力しよう」と思ってもらえるわけです。

大学の教員というのは、一人ひとりが自立していますから、学長といえども、自説をもって論破して同意させることは不可能であり、そのような強引な方法をとるべきではありません。

そうではなく、まず学長自身が「非常に高い思想家」であることが必要であり、高い思想家でない人は、そもそも学長になるべきではないのです。一方、教員の中には、依然として守旧というか、旧い制度に懐かしさを感じている人がまだ多くいます。

これは不幸な歴史なのですが、外部からのさまざまな影響をはね除けるために学問の自治が生まれたのです。が今や、外部から大学に圧力がかけられるような時代はすでに終わっているのです。社会への発信は学者の責務であるはずです。

自治を持っている以上、その分だけ責任が重いのです。企業は企業としての自治を持ち責任を持っているが、会社員は自治を持っていない。教員一人ひとりは自治を持ち、大きな責任を社会に対して持っているのです。このことを意識していない教員が多いのです。

大学をいかに改革すべきか

西尾 吉川先生は、東大総長在任中に大きな改革をいくつも実現されました。いくつかのエピソードを交えていただきながら、大学改革の在り方についてご意見をお聞かせいただければと思います。

吉川 私が行った改革の中で最も大きなものは、キャンパスの再編事業ではないかと思っています。総長就任前から、「キャンパス計画室」を立ち上げて、これからの学問の在り方を見据えながら、東京大学の将来のグランドデザインを練っていました。

 具体的には、新たに柏キャンパスをつくって、本郷、駒場、柏の三カ所を拠点とする「三極構造」を構築しようというもので、まずは柏キャンパス建設のために奔走しました。資金が不足していたことから、大蔵省(現・財務省)まで交渉に出かけたこともありました。
結果的には、六本木の研究施設を手放すことによって資金を得て、柏キャンパスをつくることができたのですが、六本木の生産技術研究所の方々は、産学連携事業を進めるには六本木のほうが適していると考えておられたため、私は同研究所の教授会に出向き、直接の説得にあたりました。

総長が一学部の教授会に出たのは、東大の歴史上初めてのことだったそうですが、私はその席で、「これは東大全体の問題であるから、ここは手放して、その代わりにもっと広大な土地を手に入れようではありませんか」と訴えかけ、理解を得ることができたのです。

私が提唱した「三極構造」の根拠についてご説明しましょう。先ほど話した「時代の精神の変化」とも関連していますが、これからの科学の在り方や方向性に関して、東京大学として、単に伝統的な学問を守っていくだけでは不十分であり、学問そのものがもっとダイナミックに変化していかなければならないと私は考えました。

変化の方法には二つあって、一つは、既存のさまざまな学問が一カ所に集まって、お互いに刺激し合っていく中で、新しい潮流を生み育てていくという方法。もう一つは、まったく新しい考え方の下で、新しい学問領域を開拓していくという方法です。

複数の学問がぶつかり合う状況は、駒場キャンパスの教養部ですでに形成されていましたから、私は柏キャンパスを新しい学問の開拓の場とし、さらに本郷キャンパスでは伝統的な学問を維持・推進していくという役割分担を構想しました。これが東京大学の「三極構造」であり、大学で学問が進化していくためのモデルケースとして、社会に示すことができたと思っています。

現在までに柏キャンパスには多くの研究所ができて、新しい学問が次々と生まれており、この計画は当初の目的を果たしていると言えるでしょう。また、柏で生まれた新学問が、やがてスタンダードな学問に成長すれば、本郷キャンパスに移って伝統の学問として歩んでいくという図式も、新しい学問に取り組む人たちのモチベーションを鼓舞しているはずです。

北澤 国公私立を問わずキャンパス再編は大きな課題となっていますが、先生が提唱された「三極構造」は、学問を進化させていく上で理想的な姿と言えます。その他にはどのようなことに取り組まれましたか?

吉川 取り組んだ改革案がすべて実現したわけではありません。例えば、学問がダイナミックに変化していくためには、学部の構造もダイナミックに変えなければならないと考え、各部局に対して人材の再編成を提案しました。これは非常に難しい問題であり、3年間議論を重ねましたが、結局実現には至りませんでした。

その他、委任経理金という、いわゆる寄付金があるのですが、このうち一パーセントを総長に預けてもらえるようお願いしました。私としては、潤沢な資金を確保できる先生方が存在する一方で、資金を集めにくい分野の先生方にも資金が提供できる仕組みをつくろうと考えたのです。こちらは総長の任期終了半年前に認められ実現できたわけですが、後に理解が深まり、現在では10パーセントを再配分に回すようになっているということです。

西尾 吉川先生をもってしても、すべての提案が具体化したわけではなかったのですね。多くの先生方からの共感を得るために、どのような働きかけをされたのでしょうか。

吉川 当時は国立大学が法人化するずっと前ですから、総長といってもできることは限られていたのですが、常日頃から「大学の在り方に関わることは総長に任せていただきたい」ということを話すとともに、改革案については幾度となく明文化して全学に配布し、私の考えを伝えていきました。実際、話すだけでは効果は少ないもので、文章にすれば何らかのレスポンスが返ってきますから、そこから実のある議論が始まるわけです。

東大総長時代の改革の経験は、現在理事長を務めている産業技術総合研究所の組織づくりにも生かされています。中央省庁再編にともなって、全国に15カ所あった通商産業省管轄の研究所を一つにまとめ、経済産業省管轄の現在の組織としたのですが、まずすべての組織を解体し、皆で相談して61の研究ユニットに編成し直しました。

ここでは基礎研究と応用研究を同じグループに入れるという斬新な手法を採用しましたが、連続性のある研究が同時に進められることで成果が高まりました。国際的にも注目を浴びて、内外から評価を得ています。

また現在、ポストドクターの再教育機関である「アイスト・イノベーションスクール」の設立を進めています。これまでに述べた「学問の細分化」によって、狭い範囲の研究に専念してきたポストドクターたちに対して、関心の幅を広げてもらい、企業等で活躍できる人材に育てていくことを目的としています。

北澤 活躍の場を移されても、自らの専門分野に閉じこもらずに、広い視野を持つべきだという哲学を貫いておられるわけですね。
吉川 他の分野と対話ができる「感受性」が最も重要だと思っています。もっと簡潔に言えば「教員は人間でなければならない」。専門だけを教え、他の分野と対話ができない「ティーチング・マシン」では絶対にいけないのです。

吉川弘之 Hiroyuki Yoshikawa

1933年東京生まれ。56年に東京大学工学部精密工学科を卒業後、三菱造船を経て、理化学研究所に入所。78年に東京大学工学部教授に就任し、工学部長、生涯教育審議会会長、東京大学総長などを歴任する。また、日本学術会議元会長、元総合科学技術会議議員でもあり、現在、日本学術振興会学術最高顧問を兼任するなど、幅広く活躍中。『「産業科学技術」の哲学』(共著・東京大学出版会)など著書多数。専門は一般設計学・ロボット工学。

大学改革提言誌「Nasic Release」第17号
記事の内容は第17号(2008年6月1日発行)を抜粋したものです。
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