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リスクを超えて進まねば成功には至らない

法政大学学事顧問
法政大学名誉教授
清成 忠男

2年間で四学部を新設したり、キャンパス施設を充実させたりしたことで、法政大学は近年大きな躍進を遂げた。大改革で手腕を発揮した清成学事顧問に、大学改革およびリーダーの在るべき姿について語っていただいた。


なぜ大学の質は低下しているのか

――法政大学で総長・理事長を9年間務められ、大改革を成功に導かれたご経験から、今日の大学改革についてご意見を賜りたいと思います。
清成学事顧問(以下敬称略) 日本の大学全体の雰囲気、あるいは客観的な条件に関しては、かつての小泉内閣時代の改革によって、大きく変化したと言ってもいいでしょう。

基本的には、「事前規制から事後チェック」への転換が図られました。つまり、大学に対する種々の規制はできるだけ緩和し、評価は後で行えばよいという方針になったわけです。これにより、学部や学科の新設が非常に迅速に行えるようになりましたし、大学の設置についても大幅に規制が緩和されたため、大学の数はこの間増え続けてきました。

少子化で18歳人口が減って、需要が小さくなってきたわけですから、普通の業界なら撤退するところが増えて、新規参入するところはほとんどないはずですが、大学に関してはまったく逆の状況になってしまいました。結果として競争が激化し、法人間で競争するようになり、各大学は、生き残りをかけて改革を進めているわけですが、経営の改革と、教育・研究の改革を同時に行わなければならないため、非常に経営判断が難しい時代になってしまったわけです。

――教育機関である大学は、改革を進めつつ、教育や研究の質も保証していかねばなりません。そのためには、どのような取組みが必要でしょうか。
清成 大学全入時代が訪れて、大学入学が容易になり、学生の質が低下しています。東京大学や京都大学といった超難関大学ですら、以前よりも入りやすくなっているわけですから、質が落ちるのはもはや当然の話と言えます。

それでも、質が落ちるだけならまだいいほうで、現在約4割の私立大学が定員割れの状態に陥っています。極端な話、志願者を全員合格させても定員割れしている大学は、事実上入試がないのも同然であり、質の保全が非常に困難な状況であると言えます。

入ってくる学生の質が下がってくる状況で、教育・研究の質を高めていく方法があるとすれば、それは教員の教育能力を高めるよりほかにありません。そのためには、ファカルティ・ディベロップメント(FD)を導入強化することも必要でしょう。

ただし、定員割れの状態にある大学で、本当に教育・研究の質を保全していけるのかと言えば、多くは財政的に行き詰まっているでしょうから、実際のところ非常に困難だと言わざるを得ません。

つまり入学者数が少なくなって、収入が減っているにもかかわらず、コストは人件費中心の下方硬直状態が続くわけで、やがては赤字に転落し、さらに赤字が累積していくことになります。そのような経営状態では、改革をしようにも、その原動力となる優秀な教員や職員たちが逃げてしまいます。

そうした段階に入ってしまった時点で、残念ながらほとんど手遅れと言わざるを得ないでしょう。立ち直るための改革は、まだ財務が健全なうちに取り組まなければならないのです。

営利企業に置き換えて考えてみるとより明白です。企業が倒産する第一の理由は、提供する製品やサービスが陳腐化して、消費者や取引先に見限られたからであり、倒産を避けるためには、新製品や新たなサービスを開発して売り出すか、ビジネスモデル自体を変えていく以外に方法はありません。

銀行の融資によって、財政的にサポートしてもらったとしても、製品やサービスが改善されない限り再生する見込みは薄いでしょう。これは大学経営においてもまったく同じだと言えます。

また、親の立場で考えれば、定員割れで財政難に陥った大学に、自分の子どもを行かせたいとは思わないでしょう。何らかの改善策が効果を発揮して、志願者が増えてくるのがわかれば、少しは安心するかもしれませんが、例えば大学のホームページなどで、志願者数や合格者数などのデータが公表されていなかったり財務状況の開示がなされていなければ、大学の実態を隠したり、改革のための諸施策を何も実施していないという印象を保護者に与えてしまいます。
保護者を含め、ステークホルダーに対して経営状況や改革の成果をきちんと説明していくことも、その大学が立ち直っていけるかどうかの鍵を握っていると言えます。

大学トップに求められる資質とは

――大学改革を正常に進めていくためには、改革を牽引していくトップの力量が問われると考えられますが。
清成 トップに立つ人間には、それ相応の資質が求められます。まず大切なのは、最終的なリスクを負えるだけの度量を持つということです。改革の施策であれ何らかの経営判断であれ、最終的に責任を負うのはトップであり、どんなリスクがふりかかってもそれを受け止めて、適切に対応していかねばなりません。また、目先のことだけにとらわれず、広い視野で全体的に物事を見て、正しい判断を下すことも必要です。

もちろん大学改革は未来の発展に向けた取組みですから、先を見通す「先見力」も不可欠と言えます。私は日頃からさまざまな会合に出席して、財界人のトップの方々と会う機会があり、「トップの力量とは何ですか」といった質問をよくするのですが、おっしゃることは皆さんほぼ一致しています。やはり、リスクを負う度量、視野の広さ、先見性といった資質が、トップには求められるとのことです。

一方、実際の大学のトップに目を向けてみると、例えば国立大学法人の学長の場合、ほとんど全員が教育者、研究者の出身であり、そもそも経営者としての教育や訓練を受けておらず、当然経営の経験もありません。学長は、企業で言えばCEOに位置づけられますが、経営者の力量を問うこと自体に無理があるとも言えます。もちろん素晴らしい資質を持っている方もいらっしゃるかもしれませんが、そんな方でも経営の経験がないのが現実です。

私立大学でも同じような状況と言えます。18歳人口が増大していた時代には、たとえ放漫経営でも大学は成り立っていたため、トップの資質を持った人材が十分に育っていませんし、そもそもトップを育てる仕組みもなかったのです。大規模大学では18歳人口の減少期でも学生が集まるため、ややもすると放漫経営に陥りがちになります。

そのため、たまたま力量のある人がトップになれば問題ありませんが、そうでなければいずれ経営が困難になるおそれがあります。要するに、教学の長である学長の適任者は多くいらっしゃいますが、経営のトップである理事長適任者は、大学の中にはまずいないと言えるのではないでしょうか。

法政大学改革のプロセス

――法政大学の総長・理事長を務めておられたとき、学部の新設など、大規模な改革を実現できた要因は何だとお考えでしょうか。
清成 私の場合、若い頃に貴重な経験を積んできたため、いわゆる学問一筋で来られた方とは違った感覚を持って、大学の経営、運営にあたることができたのではないかと考えています。30歳になったばかりの頃、私は社団法人日本経済調査協議会に参加しました。

そこには財界の大物や学会の錚々たる方々、官庁エコノミストなど、産官学のエリートが集まっていて、政治、経済、文化、教育などさまざまなテーマに基づいて調査研究し、報告書を作成していました。

当時で言えば、例えば「ニクソンショックで日本経済はどうなるか」といったテーマです。私はそこで生き方や身の処し方を学び、また産業界や官僚とのつきあいが広がり、他の大学の学長の姿も見ることができたのです。これは大変幸運なことだったと言えます。

――そうしたご経験が、法政大学の改革に生かされたわけですね。
清成 私が在任中に実行した、特に大きな改革事業としては、市ヶ谷キャンパスのシンボルとも言える、地上27階地下四階建ての「ボアソナード・タワー」を建設したことと、五つの学部を新設したことになると思います。

ボアソナード・タワーの後ろに新しい教室棟を建てました。私が総長・理事長だったとき、市ヶ谷キャンパスの学生会館で、タバコの火の不始末による火災が発生しました。私はこのピンチをチャンスに変えなければと考え、キャンパスを全面的に禁煙とする方針を打ち出すとともに、学生会館を取り壊して、新たに学生のためのビルを建てることを決めました。

学生会館の解体が大きな問題だったのは、そこに左翼活動家の拠点があったからで、ほとんど本学の学生ではなかったのですが、過去の本学幹部は、左翼活動家の報復を恐れ、どうしても手をつけられずにいたのです。しかし私は、今の活動家にそこまでの力はないと見極め、学生会館の解体を断行しました。

ボアソナード・タワーは、研究室やゼミ教室、会議室などが中心です。だから、新しい教室棟には学生へのサービス機能をすべて集中させるため、計画にあたって学生スタッフの意見を取り入れました。このように、市ヶ谷キャンパスの施設充実を図ったのは、実は将来の「大学の都心回帰」を早い段階で予測していたからであり、そのタイミングを計りつつ、事業を推進していったわけです。

新しい学部の設置も、すんなり事が運んだわけではありません。私が総長・理事長に就任する前ですが、学内の意見統一ができないまま、新学部の申請を三回行って、三回とも取り下げるという状態でした。

法政大学は市ヶ谷、多摩、小金井の三カ所にキャンパスがあります。私は過去の申請時に、学部を一つだけ増やそうとしたのが失敗の原因と考え、1999年に市ヶ谷に二学部、2000年に多摩と小金井に各々一学部の、合計四学部を新設する方針を掲げたところ、誰も反対する理由がなく、実現にこぎつけました。もちろん、財政的な裏づけがあってこそ可能だったのです。

新学部設置により、法政大学は全学的に活性化し、良い意味での学内競争も生まれ、全体として改革が促進され、今日の評価に繋がってきたのだと思っています。

このように、大学改革にあたっては、すべて先を見通し、綿密に計算していくことが不可欠だと言えます。そして、教員、職員、学生を巻き込んで、しっかりとしたガバナンスを発揮していくことで、成功に近づくことができるのではないでしょうか。

清成 忠男 Tadao Kiyonari

1933年生まれ。56年に東京大学経済学部を卒業。73年に法政大学経営学部教授となり、同経営学部長を経て、96年に総長・理事長に就任。2005年まで三期務めた後、法政大学学事顧問となる。沖縄振興開発審議会会長、日本私立大学連盟副会長、大学基準協会会長などを歴任。現在、日本ベンチャー学会の特別顧問を兼任している。

大学改革提言誌「Nasic Release」第17号
記事の内容は第17号(2008年6月1日発行)を抜粋したものです。
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