トップページ > ナジックリリース > 第10号 > ボクも大学生だった - 森 毅

わからんでもいいそのうちわかったらええねん

持ち前の飄逸さで油断させ、隙あらば一気に骨を断つ“一刀斎”こと森毅氏。東京の焼け野原に憧れて難民列車で上京し、「牧歌的な時代」を過ごした“ええかげん数学者”が見た日本の大学と学生の姿。

焼け野原に憧れて

受験とか大学といっても、ボクの時と今とは全然違うでしょう、時代も制度も。ボクの時代は旧学制だから、高校入試が大変やったんです。一高とか、ボクが行った三高(京都)は、要するに帝国大学の予備課程みたいなもんで、大学へはほとんど自動的に行けるんです。もちろん試験はありましたよ。でも、それは今でいう大学院入試みたいなもので、京都出て東京行こか、それとも名古屋に好きな先生がいるからそこにしようか、そんな気分でした。

高校入試の面白い話。丸谷才一は新潟高校ですが、ある日、校舎の屋上で遊んでいたら銃器庫から入試の答案が出てきたそうです。それで、自分の採点を見たら、作文が50点満点で15点。彼、愕然としたんですね。

でもよく見ると丸谷が最高点だったそうです。自慢げに話してくれました。さらに傑作なのは安岡章太郎。彼は二浪して結局、弘前高校を落っこったんですが、作文は30点取ったと自慢するんです。でも、おかしいでしょ。作文でそれだけ取れて浪人するんだから、他がよっぽどひどかったんやと。まぁ、牧歌的な時代ですよ。

三高の優等生はだいたい京大へ進むんですが、ボクらみたいなヤカラは、東京の焼け野原に憧れていて……。あまり知られてないと思うけど、終戦直後の東京には移動制限があって、よっぽどのことがないと入れなかったんです。ただし、東京の学生になれば入れると。「どうせ住むなら一番激しいとこに住みたいやん」。そんな気持ちで上京しました。

「難民列車」で上京

汽車で上京したんですが、切符を取るのに数時間、席を取るのにまた数時間、板の打ち付けてある窓からやっとこさ乗り込んで揺られること十数時間、まさに難民列車ですよ。噂によると、上野の地下道で毛布にくるまって寝て、翌日、本郷に来たヤツもいたらしい。

その頃は変な時代で、戦中は受験者よりも入学定員のほうが多くて、ボクの受ける数学科の倍率もボチボチやろなと思って、試験前も遊んでたんです。それで聞いたら4倍やいうんで「そんな無茶な」と。三日前から慌てて勉強しました。ええかげんなもんですね。

数学は爆発しない

数学科へ行こうと思ったのは、数学少年だったから。いってしまえば、そんなところです。遊びたいヤツは理学部、堅気気質は工学部という流れがあったけど、ボクはガス栓閉め忘れることがあるし、爆発したら怖いやん。数学なら寝ながらでもできるでしょう。

当時、一番お洒落だったのは、理科から文学部、文科から理学部へというものでしたが、それもじゃまくさくて……。ある番組でビートたけしに「森さん、疲れてませんか?」って聞かれて「ボク、小学生の時から疲れてたもん」っていって皆で大笑いしたことがあるけど、ほんまにそんな感じ、「まぁええわ」というわけです。


24通りの解法

ボクは何でも要領がよくて、難しいといわれる単位も簡単に取ったし、ラッキーなことに卒業後もすぐに北大で助手のポストが見つかりました。その後、京大に移るわけですが、入試問題をつくっていたことがあります。

ボク、ひねくれ者ですから、4通りくらいの解法が予測できる問題をつくって「どや!」というわけです。ところが、蓋を開けてみたら24通り。これは採点が大変でした。京大はわりと中間の過程を比較しようとするから、この解法とこの解法でどっちがなんて、ボクらでも判断しにくいんです。全体的に、ボクのつくる問題は、わりかし評判が良かったですよ。


学力低下? 少子化?なんぼのもんやねん

今、学力低下っていわれてるんだけど、ボク、これが気に入らない。ボクらの時もいわれたし、1969年の学生さんの戦争ごっこの時にもいわれました。客観的に強くいわれる時期というのが周期的にあるんです。

東大理で半分以上の学生が授業についていけないという話があったでしょう。あれ絶対に嘘、そんなについていけるわけないやん。京大の経験からいっても、理解してる学生はもっと少ない。それに東大は京大より不親切やから、ほとんどの学生、理解できてないはず。なんぼのもんやねんと。

誤解してほしくないんですが、学問ってそんなもんやと思うんです。なんやわからんけど、読み進めるとか、わからんからじっくり考えるとか。今は、テキストとかレジメありきで、そこから逸脱すると文句が出る。ボクの時なんて、寮の先輩が「これええで」と薦めてくれた本が、ヘーゲルの『精神現象学』ですよ。

16歳でわかるわけない。でも読むんです。法学部の教室で丸山眞男さんが荻生徂徠をやるとなれば、そこいらみんなが聞きに来てました。すぐにはわからんけど、そのうちわかるようになればいいんです。

基礎学力云々ではなくて、基礎学力なしに畑違い同士が議論する――要するに異分野交流、これが大事なんです。学問だけじゃなくて、職業間でも、外国人との「交通」でも何でもです。今、一番求められているのはこの能力なのに、どんどん落ちている。キャリアデザインなんて胡散臭いのもそうですが、やけに決まった道を、決まった方法で行こうとする。これでは多様性がなくなって、結局は単一化してしまいます。

少子化問題もしゃらくさい。大学が日本人の学生だけを相手にしてどないすんねん。留学生でも社会人でも、大学行きたい人はなんぼでもいます。

留学生にしろ、転部・転科、あるいはこの国の移民政策にまで広がるかもしれんけど、垣根取っ払っていろんなもん入ってきたら、ガチャガチャするし、摩擦も起きる。でも、そういうガチャガチャを、しょうもないこといわずに、何とかするにはどうしたらいいかを考えるのがスジでしょう。それをしないで何が大学だと、ボクは思うんです。(文中敬称略)

森 毅 Mori Tsuyoshi

1928年東京生まれ。東京大学理学部数学科卒業。
北海道大学助手、京都大学助教授を経て、71年に教授に。91年に退官後、自称フリーターとなり、新聞・雑誌・テレビなどで評論活動を行う。ユニークな視点からの切り口と、独特の語り口調が若者をはじめ幅広い層に人気を博している。
著書に『年をとるのが愉しくなる本』(ベスト新書)、『元気がなくてもええやんか』『21世紀の歩き方』(以上、青土社)、『ええかげん社交術』(角川書店)、『寄り道して考える』(養老孟司氏との共著、PHP研究所)、『ボクの京大物語』(福武文庫)など多数がある。

大学改革提言誌「Nasic Release」第10号
記事の内容は第10号(2004年5月15日発行)を抜粋したものです。
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