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機微を感じる心を育てる ~心の教育と大学~
忘れられた「心」
「大学改革」という言葉が巷間を賑わし、それぞれの大学も組織改編やカリキュラムの改訂、入試方法の模索や就職支援活動など、まさに「生き残り」を賭けたさまざまな方策に力を入れているようである。
私は大学教育、またその改革の議論にも明るくないし、一つひとつの取組みに対して、とやかく申し上げる立場ではない。しかし、いわば百花繚乱の議論の渦中にあって、学生の「心」、「優れた人格の形成」といった「人生の機微」に向けた視点が、忘れ去られているような気がしてならない。
ここでは、私がこれまでに知ることになったいくつかのエピソードを紹介することで、「心」の教育の再認識への縁とさせていただきたい。
老美術監督の精進
小林義功さんは神奈川県海老名市の町外れにある三間四方の古い観音堂に住むお坊さんだ。8年前、行脚の途次たまたまその前を通りかかり、縁あって堂守に。小林さんはここを住まいにし、法話会を開き、近在のお年寄りの話し相手となり、また『臨済録』の講義録を執筆する毎日を過ごしている。
また、生活費のすべてを托鉢による喜捨に頼っている。師はJR中央線駅前の老舗酒屋の長男に生まれ育ち、中央大学法学部を卒業したが、高校時代から強い対人恐怖症に陥り、一時期、家業を手伝い結婚したが、対人恐怖症から日々の生活に耐えられず離婚。出家して臨済宗の僧堂に入ったのである。
観音堂の境内に、神奈川県名木百選にも選ばれている寿齢450年の榧の大古木が立つ。ある日、師が托鉢から戻ってくると、脚の不自由な御老体が大木を見上げて立っていた。御老体には品格が備わっており、脚のことを訊くと大戦中に機銃掃射の弾丸が左足を貫通し、膝から下を吹き飛ばされ、以来、義足となったという。
さらに話を聞いて驚いた。御老体つまり井上泰幸さんはゴジラ映画の特撮映画でつとに知られる故円谷英二監督を支え、美術監督をつとめてきた。美術構想は円谷監督が練るにしてもその構想を具体化するための設計、製作つまりその工程のすべてを井上さんが指揮監督したのだという。そのタイトルは『ラドン』『ゴジラ』『日本海海戦』『日本沈没』など100本を超えた。
1年後。井上さんが脳梗塞で倒れたと聞き、小林師は病院に駆けつける。2カ月後退院にこぎつけたが、後遺症で右手、右足がきかなくなった。四肢のうち使えるのは左手一本となったのである。
その頃、観音堂に安置されている手が欠けた弘法大師像を修復したいという思いが小林師にあり、その修復をリハビリにもなるだろうからと井上さんに託した。
井上さんは初め固辞したが熱心に説得。それが効を奏しそれから6カ月、氏は毎朝、不自由な両脚を励ましながら観音堂に姿を現し、まずお大師さんのお軸に水を供えて合掌し、作業に取りかかる日々が続いた。そして見事な出来映えの大師像を復元させたのである。
小林師は私の主宰する情報誌に掲載されたエッセイの中で、こう書いている。
「井上さんのような人は善意から何かをしたいと思う。そうした仏心をいっぱいもっている。仏教を難しく考えることはないのだ。善意そのまま素直に行動に移したら、それでいい」
対人恐怖症に苦しみに苦しんだすえの師の言葉である。
黒四ダムから
これまでに数多くの出家僧にインタビューをしてきた。出家とは出世間のことであり、世俗の生活を捨てることだ。出家の動機にはいくつかのケースがあるのだが、中でも幼い愛児の死の悲しみは、他の何かに譬えられるものではない。その例をA師に見た。
A師は日大芸術学部を志望し、東京で浪人中に黒四ダムの工事現場で働くことになった。トンネル内にある飯場では夜となく昼となく博打場が張られる。中には勝つ者がいるが、たとえ勝っても長いトンネルを抜けて世間に出ることはできない。
トンネルのあちこちに組の見張りが立ち、追い返す。トロッコの線路を伝い走って逃走をはかった者もいたが、つかまったら蕫行方不明者﨟とされ、土中に埋められて不思議でない世界だったという。
Aさんも逃走をはかった。トンネルの中をまさに死にもの狂いで走って奇跡的に脱走に成功。思いもしない大金を懐にして、故郷岡山に帰り、その頃、水島コンビナートの海岸埋め立て工事が始まり、早速ダンプカーを購入、工事現場に出入りした。才気煥発のAさんは袖の下も十分に活用して、のし上がっていった。
さらに儲け仕事をと、韓国から李朝の白磁や青磁を密輸。密輸もさることながらその白磁・青磁は済州島の売春窟にい続け、女たちを手先にし、男たちに墓場荒らしをさせて、安置されてある骨壷を盗んで集めさせたという。
そのたたりでもあったのか、留守中に夫人とAさんの友人が駆け落ちし、さらに一人娘が白血病になり、亡くなった。さすがのAさんも生きる心の根底を喪い、会社をたたんで、寺男として使ってくれそうな寺をさがしてあちこちを放浪して歩く身となったのである。
数年後、托鉢僧となり東京に姿を現す。さらに数年後、独力で不動堂を建て、また数年後、全国ネットのテレビ番組にしばしば出演するところとなった。その頃には咽喉ガンに侵されていた。それでも喫煙をやめずに自らの死の道を歩んだ。享年62歳だった。
師は涙を流し続けて私に自分の過去を語り、「すべて自業自得のことです」とつぶやいたのである。
羝羊心
最近、数年前に七歳の愛娘を喪くし僧侶になった50代半ばの真宗僧を知った。山里の空寺の蕫権利﨟を入手し、娘の菩提をとむらっている。「一日も早く娘のところへ行きたい」とも。
空海(弘法大師)の主著『十住心論』は人間の精神の発展段階を十段階にランクづけし、初段階にて「異生羝羊心」、最高の第十住心に真言密教を掲げている。
「異生」は凡俗の我らのことであり、羝羊心は本能のままにふるまう雄牛の心に擬らえ、親が子を思う思いもその一つにあげているのだ。僧は我が子の菩薩をとむらって事足れりとしていてはいけない、人間の精神の成熟としてはまだ緒についたばかりだというわけである。
「機微」を感じる心
近年の若者の動向を鑑みるに、「人生の機微」を感得する心を疑わずにいられないことは冒頭にも記したが、そうした心の醸成には、まず家庭が大きな役割を果たすだろう。そして学校教育である。学校教育でも初等、中等、高等と、子どもたちの成育段階に合わせた人格教育が施されるべきだが、こと高等教育の中でも最高学府として存在する大学でこそ、心の教育は注力されてしかるべきだと考えている。
「人間教育」を標榜する大学は数多く、特に私立大学では広義の「宗教心」を教育理念として掲げるところもある。教派、主義の違いこそあれ、それらは結局のところ「相手を思いやる心」「相手の気持ちを想像する能力」の育成を謳っているのである。今、改めて、「機微を感じる心」を見つめ直してもいいのではないだろうか。
鈴木 忠雄 Suzuki Tadao
1939年生まれ。
京都大学法学部卒業。卒業以来、自由業としての編集・執筆に従事。99年、『禅と念仏』を創刊、現在に至る。
記事の内容は第10号(2004年5月15日発行)を抜粋したものです。
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