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国立大学法人化の意義と展望 (文部科学省高等教育局 清木 孝悦)

国立大学法人化の意義と展望

文部科学省高等教育局
国立大学法人支援課長 清木 孝悦
聞き手:株式会社学生情報センター社長 北澤俊和

さまざまな議論を経てスタートした国立大学法人。法人化によって大学はどう変わるのか。学長はどこまでリーダーシップを発揮できるのか。基礎研究は大丈夫なのか。私立大学に与える影響は……。「戦後最大の高等教育改革」の背景と今後の展望について、文部科学省の清木課長に伺った。

文部科学省のホームページに、「国立大学の法人化をめぐる10の疑問にお答えします」という告知が掲載されている。
国立大学法人化に関しての想定質問に答える形で改革内容とその意義を説明するのが目的だ。質問内容は下の通りである。

質問内容

Q1.なぜ国立大学を法人化することにしたのですか?

Q2.国立大学を法人化するというのは、国の財政支出を減らす為に、民営化するということなのですか?

Q3.国立大学が法人化すると、学生にとっては何が良くなるのでしょうか。

Q4.国立大学が法人化すると、授業料が大幅に上がってしまいませんか?

Q5.国立大学が法人化して民間的な発想で運営されるようになると、基礎研究などがおろそかになるのではないでしょうか?

Q6.地方にある国立大学や小規模な国立大学は、法人化すると衰退してしまうのではないでしょうか?

Q7.大学における教育研究などは評価しにくいのではないですか?

Q8.法人化後は、中期目標の作成や評価が行われることで、かえって国の関与が強まるようにも見えますが、どうでしょうか?

Q9.大学の自主性を尊重するなら、中期目標を文部科学大臣が定めることにする必要はないのではないでしょうか?

Q10.国立大学法人制度は、独立行政法人制度とは、どこがどのように違うのですか?

ここに設定された10の質問項目は、多くの人が疑問に思うことを見事に網羅しているし、サイトはその一つひとつに丁寧に答える形で構成されている。

文部科学省の積極的な情報開示の姿勢を示すものといえよう。そしてその内容は、今回の改革がいかに大きいものであったか、いかに時間をかけて検討されてきたものであったかを窺わせるものである。

ところで、文部科学省は現在、東京駅近くのビルで仮住まいをしている。平成19年に新庁舎ができるまでのことなのだが、庁舎に足を踏み入れた途端に印象的な光景に出合った。

グループ行動中と思われる修学旅行の中学生6人が、受付の前に集まっていた。聞くと岩手県北上市の中学生で、自分たちでアポイントをとり、文部科学省見学にやってきたということだ。すぐに広報担当の女性がやってきて、「こちらへどうぞ」と優しく言葉をかけ、彼らを案内していった。

ひと昔前の「お役所」のイメージとはずいぶん違う。文部科学省は明らかに変わりつつある。その文部科学省が手がけた大学改革は、どのようになされていったのだろうか。

1990年代から改革は始まっていた

――まず、国立大学法人化の経過をお教えください。

清木) 「知の創造と継承」――これを担うのが大学の役割です。
今回の改革は、21世紀に入り、わが国が世界の中で発展していく上で、極めて重要な大学の役割を充分果たせるよう環境を整えようというものです。これまでの国立大学は、国の組織、つまり文部科学省の中の組織として位置づけられていました。したがって、国の制度の枠内で人事、会計などさまざまな制約がありました。

国立大学が自主性・自律性を高め、特色ある大学となるためには、国の組織の中にとどまっていたのではどうしても限界があります。そこで、各国立大学を国の組織から切り離して法人格を付与し、自主的な取組みを可能にするとともに、競争的環境を高めることにしたわけです。

――法人化の法案は平成十五年七月に国会で成立し、16年4月に移行という運びになったわけですが、いつ頃から検討され始めたのでしょうか。

清木) 法人化そのものは30年以上前から議論となってきましたが、今回のものは「競争的環境の中で個性輝く大学づくり」をキャッチフレーズに、1990年代から積み重ねられてきた一連の大学改革の流れの中に位置づけられる一大改革と認識しています。

国立大学はどう変わるのか

――国立大学の強みはどんなところにあるとお考えでしょうか。

清木) 国立大学の役割の特徴は、①高度な学術研究、②大学院教育を中心とした高度な人材養成、③地域の産業や文化の拠点などにあると考えます。例えば、大型の基礎研究などは、学生からの授業料収入だけでまかなうのは不可能です。

もちろん、私立大学の中にも優れた基礎研究を行っているところは数多くありますが、「私費」では限りがあります。
例えば、ニュートリノの研究には、カミオカンデ、あるいはスーパーカミオカンデという巨大な装置が必要でした。これには、当時の国立大学特別会計から、多額の予算を投入しました。

――それだけの価値があったということですが、回収の見込みなどは立てられたのですか。

清木) 基礎研究は、短期的に回収するという性格のものではないし、すぐに実社会で役に立つ成果が出るわけではありません。しかし、長期的に見れば、人類の文化に貢献し、あるいは結果的には産業の発展につながるものであり、そのような研究によって小柴昌俊先生はノーベル賞を受賞されたわけです。

――まさに人類の文化に貢献する活動だったわけですね。

清木) 国立大学でなければできないことが、確実にあるのです。
基礎研究もそうですが、地方大学もこの法人化を機に、より特色を強め、地域に根ざした独自の研究分野を開拓したり、地元産業界との連携により地域再生の核となるなどの取組みを始めています。
例えば、鳥取大学では、長年にわたって乾燥地研究を手がけており、砂地農業や砂漠化問題などの分野で、屈指の実績を残しています。

学長のリーダーシップを強化

――学長の権限と責任もずいぶん拡大しましたが、どのような効果が期待できますか。

清木) これまでは、学長がリーダーシップを発揮しようとしても、難しい面がありました。国立大学は国の組織の一部でしたから、教職員すべての任命権は最終的には文部科学大臣が持っていました。今回の法人化によって、理事や教職員の任命権はすべて学長に帰属することになりました。
――組織の改変なども学長の権限になったのですか。

清木) 国の組織の一部であった時は、小規模な組織改編であっても、大学は文部科学省に概算要求をし、文部科学省は財務省などに概算要求をし、膨大な手間と時間がかかったのです。
ところが、国の組織から外れた現在は、新しく学部をつくるなどの大きなものは別として、組織の変革は機動的・弾力的にできるようになりました。

例えば学術研究は日進月歩であり、それに応じて研究組織も柔軟に変えていかないと研究の進展に対応できず手遅れの状態になってしまいます。大学の判断で柔軟に新たな組織づくりができるようにしなければならないのです。

――縦割りの弊害もあったのではないでしょうか。
清木) そうですね。これまでの国立大学は、学長がリーダーシップを発揮して、その大学としての戦略を打ち出し、実行していくのが難しかった面があると思います。しかし、法人格を得ることで、学長の裁量、リーダーシップは大幅に広がり、学部の壁を超えて、大学全体としての戦略的な取組みを進めることが可能となりました。

学外者の声を積極的に取り入れる

――運営方法がずいぶん変わったわけですが、トップ・マネジメントがきちんと機能するためにどういう体制をとられるのでしょうか。

清木) 学長がリーダーシップを発揮するためには、それを支えるマネジメント体制が必要です。それが役員会で、学長と理事によって構成されます。理事は学長が任命します。
役員数は大学の規模によって決められていますが、1人以上は必ず学外の人を入れなければいけないことになっています。

さらに、「経営協議会」が設けられました。これは学外者が半数以上ということになっており、産業界、地域社会、私立大学の関係者など、多様な人が入っています。こうして、ともすれば閉鎖的といわれた国立大学に、外部の多様な意見が反映される仕組みとしているのです。

東北大学と神戸大学では、理事に外国人を起用しています。これまでは公務員でしたので、管理職には外国人は登用できないという制約がありました。しかし、今回公務員ではなくなったことにより、可能になりました。

どうなる?これからの高等教育

――18歳人口が減少し、平成19年度には大学の定員と志願者数が同じになるといわれますが。

清木) そういう状況は、一面大学経営にとっては厳しいものではありますが、見方を変えれば、各大学がそれぞれ特色を出して、学生が大学を選ぶという時代になってきたともいえます。どんな付加価値を学生に身につけさせて社会に送り出すのか――どの大学を出たかではなく、何を身につけて大学や大学院を卒業したのかが問われるわけであり、学生の大学の選び方も当然変わっていかなければなりません。

――そのためにどんな対策を講じられているのですか。

清木) この4月にロースクールがスタートしたように、これからは、高度なプロフェッショナル養成が大切になります。今後はさらに専門職大学院の充実が必要です。

研究面では、平成14年度から世界的な研究教育拠点を形成するための「21世紀COEプログラム」が実施されています。教育面では、平成15年度から「特色ある大学教育支援プログラム」がスタートしました。また、第三者評価制度も今年度から導入されました。

法人化も含めて、それぞれの大学が特色ある取組みを進められるような基盤づくりやそれに資するプログラムは各種用意がなされ、今後もさらに充実していく考えです。各大学がこれらをどう活用して特色を打ち出していくのかが問われるでしょう。

――国際的な競争に勝ち残っていくためには何が大切でしょうか。

清木) 大学に限らず、現代は国境がなくなってきています。今は海外の大学の講義をインターネットで受講できる時代です。国内だけで競争を考えていたのでは、立ち行かなくなります。日本の大学に魅力がなければ、学生はどんどん海外の大学に流れてしまうでしょう。

しかし、日本の大学のポテンシャル、底力は大変なものがあると思っています。例えば「論文引用数」で見た場合、材料科学だと東北大、物理学は東京大、化学は京都大など、世界でナンバーワンクラスの大学がそろっています。国公私を通じた競い合いの中で一層のレベルアップが図られ、国際競争力ある大学となっていくことが期待されます。

――最後に、今回の改革にかける思いをお聞かせください。

清木) 今回の法人化は、さまざまな議論の末、最終的に関係者の総意として実現したものです。法人化はある意味では血を流すことでしょうが、むしろ各大学が法人化のメリットを生かして教育研究の活性化を行い、新たな国立大学に生まれ変わろうという決意のもとにスタートしたといえます。

今、大学は大いに変わりつつあります。従来の大学観ではなく、ぜひ生まれ変わった新しい大学の姿を見ていただきたい、また今後の成果に期待してほしいと思います。

大学評価、学校環境、就職、受験、そしてメディア (財団法人 学生サポートセンター 理事長 北澤俊和)

大学評価、学校環境、就職、受験、そしてメディア

財団法人 学生サポートセンター
理事長 北澤俊和

閉塞感漂う現在――厳しい状況下で学生は何を考え、何を思っているのか。
昨秋実施した学生意識調査からその一端を紹介し、いくつかの提言を試みる。

「学生意識調査」の目的

大学は「激動」の時代を迎えている。今年は、いくつかの意味でその節目にあたる年といってよいだろう。まず、この4月から国立大学は89の国立大学法人となり、また、私立大学を含む全大学での大学評価制度も同月に施行された。さらには大学全入時代の生き残りに向けて、さまざまな形で「大学改革」が進んでいる。

一方、その環境下にある学生もまた、厳しい状況に晒されており、就職内定率は調査開始以来、最低の数字を記録し、奨学金の受給者も倍増している。
このような状況下で学生は何を考え、何を思っているのか。その実態を把握すべく行われたのがこの「学生意識調査」である。

テーマ・対象・方法など

テーマ……「大学評価」「学校環境」「就職」「受験」「メディア」
対 象……東北、関東、中部、関西、中国の都市圏に在学する学生(専門学校、短期大学、大学、大学院に在学)。学年構成は右図を参照
実施時期……2003年10月24日~11月4日
方 法……インターネットのメールにてアンケート協力を依頼。アンケートウェブへのアクセスで調査票を回収するネットリサーチ
サンプル数……467名

調査対象者の基本的属性

■年齢
18歳7%/19歳26%/20歳27%/21歳18%/22歳12%/23歳6%/24歳2%/25歳以上1%/未回答1%
■性別
男子51%/女子49%
■出身地
北海道2%/東北7%/関東15%/北陸9%/中部25%/近畿16%/中国12%/四国7%/九州7%

大学評価への期待

「大学評価」において、学生は何を対象として望んでいるのだろうか。

大学評価制度では「全学的な教育研究等の状況」「専門職大学院の教育研究活動の状況」が評価の柱となっている。「大学評価」のテーマ調査において、学生も評価対象の項目に「教育研究の内容」と「教育方法」を挙げる声が圧倒的に多かった(図2)。

とりわけ「今の大学評価は研究に偏っているように思う。もっと教育面も評価に入れるべき」(大学院二年/男子)といった、研究よりも教育を評価対象に望む声が多い。
教育者としての教員への目も厳しい。「教授の教え方に疑問を抱くことがあります。研究熱心ではあるのかもしれませんが、教えるという点を考えると、不満もあります。

偏差値が高く知名度のある大学に入っても授業がつまらないのでは興味も半減します。教授の授業内容などをもっと評価の対象にしてほしい」(大学二年/女子)などの手厳しい意見が数多くみられた。変革は「教える側」に求められているのである。


大学のステークホルダー

評価とは、ステークホルダー(利害関係者)へのアカウンタビリティーの明示に他ならない。大学のステークホルダーは、学生、中でも受験生が重要な位置を占める。受験生は大学評価に何を求めているのだろうか。

「大学は学生が学び成長する場であるので、学生が何を求め、大学生活を通して何を得ていったのか、といった観点に立った評価をしてもらいたいし、そこが受験生の1番気になるところだと思う」(大学3年/女子)。「大学評価は、受験生にとって、大学選びの基準として信頼できるものでなければ意味がない」(大学4年/女子)。

ステークホルダーへの配慮は、民間企業では欠かせないものである。しかしだからといって、それが、民間企業だけに必要であることを意味するものではない。「サバイバル」といわれて久しい大学も、ステークホルダー議論は、もはや無縁ではないのである。
大学関係者は受験生をはじめ、学生、教職員、地域住民の声を、真摯に受け止めるべきだろう。

ハードの充実

「学校環境」のテーマでは、次のような指摘があった。
「大学は自らが学ぼうとすれば、とことん学べる学び舎だが、いざ学ぼうとしても、図書関係や学術情報が充実していなければ学べない。学生にとって『学べる環境』を用意している大学は、いい評価が得られると思います」(大学3年/女子)
自学自習のための施設・設備や図書などの施設面――いわばハードの充実度は、学生への訴求力が高い。

しかしそれは、「新しい建物」「オシャレなキャンパス」といった皮相的な問題ではない。先の学生の言葉にある通り、学生が学ぼうとするときに、どれだけ役に立つハードを供給できるか。ハード面の可能性の中心は、まさにここなのである。

競争原理の導入と世界基準

自己評価も含め、多方面から検証された評価は、積極的に公開すべきである。公開することにより、大学間の切磋琢磨が行われ、それがわが国の大学全体の底上げにもつながる。「大学間の競争」が鼓吹されて久しいが、そもそも競争市場自体のレベルが低ければ、どうなるだろう?

「国内での位置がどうこうよりも、世界での存在意義を考えるようでないと、日本は今世紀、生き残れないと思う」(大学3年/女子)。経済、金融、産業、そして教育と、すべての競争市場が地球規模へと爆発的に拡大した現代において、「世界基準」の重要性を、学生はすでに知っているのである。

新たな産学協同の形

就職内定率の低迷が続く中、学生はそれぞれが籍を置く学校にどのような就職支援を求めているのか。アンケートでは、「豊富な企業・業界情報」が最もポイントを集め、次に「業界に精通したアドバイザー」が続く。学生が、現在の大学提供の企業情報に大きな不満を持っていることが読みとれる。これは時代のスピードに大学が立ち後れていることを示しているのではないだろうか。

これからの就職支援は、時代の趨勢や経済のグローバル化を充分に意識した情報提供を柱とすべきである。ただ、大学内だけでの情報収集、提供には限界があるだろうから、産業界からの情報提供を求めるなど、新たな産学協同の形が生まれてもよいのではないだろうか。

社会問題化する若年層の雇用

厚生労働省の「若者自立・挑戦プラン」や『若年者キャリア支援研究会報告書』では、若年層の雇用・就業に関して深刻な社会問題を引き起こしかねないと警告を発している。

就業先がないわけではない。中小企業の求人難は依然として続いており、「e-Japan重点計画」を遂行するためには42万人の情報通信人材が不足しているとの指摘もある(情報通信ソフト懇談会の『最終報告書』)。

若年層の意識自体にも大きな問題がある。東京商工会議所の「新卒者等採用動向調査について」では、最近の採用に関する悩みとして「学生の就業意識の低下」「やる気のなさ」「学力の低下」「就職難の割には危機感のない学生が多い」など、学生サイドの質の低下が挙げられている。事態の深刻化をくい止めるためにも、教育界と産業界が、ともにこの問題に取組むことが急務だと考えられる。

低年齢化するキャリアプランニング

図示は割愛するが、「就職支援」で求められる項目において、「豊富な企業・業界情報」「業界に精通したアドバイザー」「就職に役立つ講義の開講」などが、大学低学年次で高いポイントを集めた。

一方、「1・2年次からの計画的なキャリア形成」をしてほしいと考えているのは大学3・4年生に多かった。また、希望職種について尋ねると、「研究職」「クリエイティブ職」「コンピュータ関連」など、入学当初から明確なビジョンを持っている大学生が多く見受けられた。しかし、実際の就業状況をみると、必ずしも入学当初の希望とは一致していない。

つまり、その職業に就くためのより具体的な情報を欲していたにもかかわらず、情報が得られなかったのではないか。その職種に就くためのキャリア形成ができなかったために、希望の職種を諦めざるを得なかったのではないだろうか。
本人の能力や志向性の問題もあるが、具体的な職業に直接的に結びつく就職支援が何よりも望まれる。

ブランド重視の男子資格重視の女子

受験に際する学校選定の基準をいくつかの選択肢を用意して聞いた。
男女とも、最もポイントを集めたのは「学びたい学部、学科、専攻だった」だが、子細にみれば、違いがある。男子は「知名度」や「就職実績がよいこと」を選定理由としているのに比べ、女子では「身につけたい資格、免許が取得可能なこと」も大きな理由として挙げている。

女子の資格志向はよく取り上げられるが、現在、その資格も多様化している。時代の要請に応えるべく、学校は資格取得への取組みを強化すべきだろう。


テレビと新聞の影響力

高校時代によく利用したメディアを聞いたところ、「テレビ」が大きく他を引き離してトップだった(図4)。また、最も信頼するメディアとしては、「テレビ」に倍以上の差をつけて「新聞」が挙げられた(図5)。

興味深いのは、利用したメディア、信頼するメディアの両方で、「インターネット」とともに、「友人との会話」がポイントを集めていることだろう。巷間囁かれている「情報」としての「口コミ」の存在が、ここでも明らかになっているといってよいだろう。

大学評価制度のスタート直前に、本調査のような学生の生の声を採取できたことは意義深いといえる。学生の意見はどれも貴重なものである。大学評価には、これら学生の声を大いに活用すべきだろう。今回の調査は、すべての学生を網羅したものではないが、学生の意識の一端を窺える結果になっているはずである。

財団法人学生サポートセンターでは、今回の結果を『「今、学生は何を思う」学生意識調査報告書2003年度版』として刊行した。学校関係者のみならず、多くの方々の目に触れれば幸いである。

調査委託:ナジック教育ソリューション

本稿についての問い合わせ、詳細は
財団法人 学生サポートセンター
電話: 03-5766-8207
http://www.gakusei-sc.or.jp

「国家百年の計」としての人材育成 (京都大学大学院情報学研究科教授 中村行宏)

「国家百年の計」としての人材育成

京都大学大学院情報学研究科教授 中村行宏

産業界との連携
――大学に求められる新しい役割において、成功のカギを握るのは工学部である。
京都大学で教鞭を執る傍ら、わが国の情報通信分野の発展に大きく貢献している中村行宏氏に寄稿いただいた。

「可能な限り貢献する」という意識改革

私は企業の研究所出身で、かつ工学部に籍を置くものとして、「大学の研究成果を産業界に活かすこと」を、自身の重要な役割のひとつと認識し研究に取り組んでいる。産業界から「実用化、製品化、商品化の労をとっても使わせてほしい。情報開示してほしい」と要請されるような成果が大学研究から出るとすれば、とてもいいことだと思う。

では、実際に、そうした成果がどれだけあるだろうか。そこでは、産業界からみて、大学と協力すればモノになるかもしれない「成果予備軍」をどのように考えるかが、重要なポイントになる。
理論的、アルゴリズム的、また、試作レベル段階の成果予備軍を、赤の他人に本当に使ってもらえるものにする。さらに社会の役に立つものにするということに、研究者自身が意義を見出し、情熱とインセンティブを持ってその労をとることが、必須の条件なのである。

工学部の場合、試作と実験をきちんと行って定量的なデータがとれれば、それなりの論文を書くことはできる。研究論文の数、あるいはその引用実績で、大学内、あるいは学会内の立場が安定的に保証されるというわが国の大学界の現行システムにおいては、それだけやれば充分なのかもしれない。

しかし、先にいったように、このレベルの研究成果を他人の使用に堪えるものにするには、そこまでにかけた努力に勝るとも劣らぬ、さらなる努力が必要である。工学的にはここからが本当の正念場といえるだろう。ここがひとつのメルクマールであり、それを泥臭いといって馬鹿にするのではなく、この部分においても可能な限り自らも貢献するのだという意識改革――これが大学人に求められているのである。

旧弊を捨て志を高く

大学人においては、理科系の場合、新しい現象や事実の発見には情熱を注ぐが、そこから先、つまり、社会にどう役立てるかという課題は自分たちの役割ではないと、一段低くみる理学的発想が依然として主流であるようにみえる。
大学と企業との役割分担からは、大学がより原理的、長期的課題の解決に責任を負うということでよいが、それは、大学の研究は、興味のおもむくまま好き勝手にやっていてよいということを意味しない。

この幻想自体、人口に占める教官、学生の割合が圧倒的に少なかった少数精鋭の旧き良き時代の名残である。すべてが大衆化された現実を、冷静に見つめなければならない。
わかりやすくいうと、湯川秀樹先生が現役として活躍されていた1930年ごろと現在を比べると、日本の人口は2倍、京都大学の学生数は4倍、教官数は6倍に増えている。人口に占める教官・学生の割合がこれだけ増えれば質が落ちるのは当然であり、京都大学でさえこうだから、わが国全体ではもっとひどいことになっているであろう。

こういう事実をみれば、成果予備軍を本当の成果とするための努力を続けながら、その過程を通じて、研究への心構えも含めて、人材を育成する必要が、今こそあるという私の気持ちがおわかりいただけると思う。

例えば、電気系の学生には、足腰の強い専門家にすべく、ハードウエアの実験・演習など、かなり泥臭いことにも取り組ませているが、他方、数理情報系の学生は一般に、理論系やソフトウエアを好み、ものづくりの傾向の強いハードウエアを嫌う傾向にあるようだ。

しかし、電気系学生の中には、自分はソフトもハードも身につけているのだから、一方の専門家だけではこなせないような付加価値の高いシステム構築の仕事に取り組みたいと考える、志の高い人間が少なからずいる。このような学生をこそ増やして、その能力とやる気をさらに伸ばしてゆく必要があると考えている。

騒乱を逆手にとる

近年、情報家電に産業活性化の期待が集まり、最近はいよいよ家電ネットワーク化に向けて開発競争が本格化している。ここでは、各種機器接続のインターフェースが重要になるが、そのひとつとして注目されているIEEE1394、さらにマルチメディアの中心となるJPEG2000などの画像処理、三次元音響処理などを対象に、私の研究室ではアルゴリズムの研究開発から実装レベルまでの技術を蓄積しており、その積極的活用により一層の磨きをかけることに努めている。

また、NTT在職中に開発した、高位論理合成CAD「パルテノン(PARTHENON)」によるLSI設計法習得のための遠隔教育システムの研究開発も行っている。これは、京都大学はもちろん、AMF(Asian Multimedia Forum)のプロジェクトのひとつとして、マレーシア、タイ、フィリピン、台湾、韓国などの大学にも提供し、LSI設計の初期導入教育、基礎知識・技術の習得に、ネットワークを介したオンライン環境として貢献するものである。

さらに、創設10年になるパルテノン研究会も東京都よりNPOの承認を受け、一層の社会貢献を目指している。
いうまでもなく、われわれの視線は国内だけに向けられてはいない。グローバル環境で広く貢献することを目指しているのである。もっとも、そうした視点なくしては大学も存続し得ないという当然の気運となっている。

今年度より国立大学が独立行政法人となった。大学にぬるま湯体質を許さず、責任と権限を持たせた「独立」組織にすることは大変結構なことである。しかしその実体は、官僚や彼らが人選した評価機構などが、京都大学の教育・研究の内容を評価・承認し、進捗状況をチェックして口を出すなどという荒唐無稽な仕組みになっている。
本当の評価などできる訳がない。そのことは、日本独自の評価・判断による文化勲章、文化功労賞の授与が先で、その後、ノーベル賞を受賞したという例が皆無であることが証明している。評価のための特殊組織に税金を使うなどもっての外である。

しかし、4月を待たずして全国の大学が評価のための資料づくりに膨大な工数をかけるという本末転倒が既に始まっている。私は、某民間誌による「人事部長の選ぶ役に立つ大学」などの企画記事のほうが余程実態を反映した評価になっていると思うし、国民は利口だから、「京都大学の教育・研究に税金の何パーセントを与えるか」で額を決め、われわれは教育と研究に没頭し、その研究成果、卒業生の品質をみて、例えば、最高裁判所裁判官の国民審査のように、国民がこの額の増減を決定するというシンプルな仕組みにすればよいと考えている。

ご大層な評価体制など害あって益なし、国民のためにならない。学校制度の改悪により、優れた公立高校をすべてダメにした二の舞を大学にも踏ませようというのか。
もちろん、心ある教官は国立大学が従来通りでよいなどと思っていない。とにかく、この騒乱を逆手にとって、大学の教育・研究の中身を、本当に質の高いものにするチャンスであるという危機意識と意欲を持った大学人がたくさん出てきていることも事実である。

わが国の産業の真の発展のためにも、むしろこうした大学の力を活用
し、中身の濃い産学連携を推進すべきである。

教育の原点に立ち返る

私は昨年、欧州におけるモバイル・ITビジネスを視察したが、フィンランド・エスポー市のオータミエニ・サイエンスパークやスウェーデン・ストックホルム市のシスタサイエンスパーク、また、フランスのレンヌ市など、世界的なIT集積地では、ベンチャー企業を生み出す環境を構築しつつあるが、併せて、専門技術をもった人材育成に産官学が協力して組織的に取り組んでいるのが印象深かった。

わが国においても、産学連携などによって新しい技術開発を進めるとともに、優秀な人材を育てる枠組みを、早急に構築する必要があるだろう。

わが国は国土面積も狭く、眠っていても石油が湧いてくるような国ではない。もともと「人」そのもので成り立っている国なのである。貴重な人的資源を活かし、いくら苦しくても、どれだけ面倒でも、とにかく付加価値のある、奥の深い技術にどんどんと挑戦し、額と脳に汗して走り続けてゆくしかないのである。楽しようなどと考えてはいけない。

にもかかわらず、「ゆとり」云々、あるいは円周率を3にしてしまうなど、どこまでわが国の子供たちの学力を低下させ、怠け者にしようというのか。これでは、理数系の勉強が理解できない、理解できないから興味が湧かないという、哀れな子供たちを増やし続けることになるのである。実際、近年発表される世界各国とのさまざまな比較データによると、わが国の高等学校生の学力低下は目を覆いたくなる状況である。

今こそ、小手先の策を弄するのではなく、物事の原点に立ち返って、人材育成という「国家百年の計」に力を注ぐべきである。日本人の大半が、何か自分の利益になることはないかと絶えずキョロキョロしている、何とも浅ましい状況である。本当の仕合わせを求め、より善く生きるには、その基礎に倫理観の裏づけが必須である。

この関西の地には、京都の伊藤仁斎、滋賀の中江藤樹、大阪の緒方洪庵と正に「師」中の「師」ともいうべき教育者がいて、人格陶冶のための学問を指導していたのである。「知と人格」は本来はひとつであったのに、人格教育を捨て去った誤った戦後民主主義による、間違った自由・人権意識からくる「自分勝手主義」、努力した人もしない人も「結果を同じにしろ」という奇妙な「平等意識」が蔓延した結果による頽廃が、行き着くところまで行ったことは最近の世相が物語っている。

倫理教育は大学でやっていては遅いが、そうもいっていられない。倫理力は実践においてのみ磨かれるから、日々の研究活動を通じ、人格教育、倫理教育を実施する――これしかないのである。自分さえ仕合わせになればよいと考える人でも、倫理教育に意を注がなくてはならないところにまで、わが国の精神的荒廃は来ている。

「日本経済が大変だ」「産業が大変だ」「円高になっては困る」との大合唱であるが、こんなことよりもっと大変なことは「教育問題」であると思っている方はたくさんおられると思う。「教育の目的は人格陶冶にある」という教育の原点を復活し、強い「倫理力」を持った人材を育てることにより、真に強い日本、強くても嫌われない日本を実現したいものと思う。

中村 行宏 Nakamura Yukihiro

1944年生まれ。67年、京都大学工学部卒業。69年、同大学院修士課程修了。工学博士。同年、日本電信電話公社(現NTT)に入社、研究部長などを歴任。96年、京都大学大学院工学研究科教授を経て、98年より同大学院情報学研究科教授(通信情報システム専攻)、電気電子工学科長を兼任。大河内記念技術賞(92年)、科学技術庁長官賞(94年)、電子情報通信学会業績賞(99年)など受賞多数。IEEE関西支部役員(IEEE Fellow)、パルテノン研究会会長などの役職も兼任している。

拝啓大学殿~南山大学編~ (副学長(教学担当)・総合政策学部教授 浜名優美)

拝啓大学殿~南山大学編~

往信


●学部内での転科等、進路変更は可能でしょうか?

●学生への就職支援態勢の充実を期待していますが、例えば学内でのダブルスクーリングなどの取組みは行われていますか?

●学生による授業評価を公表していただきたいのですが、いかがでしょうか?
(岐阜県立加納高等学校 武田晴好教諭)

●全国入試を実施されていますが、どういう学生を取りたいのか、その意図がわかりにくいのですが。

●学部、学科案内を含めた模擬授業を行っていただくことは可能でしょうか?

●貴大学の英語教育は全国随一というべきものでしょうが、それ以外の学部でも、全国区レベルの教育内容、実績を誇っていただきたい。具体的なビジョンはありますか?
(静岡県立浜松西高等学校 竹山喜章教諭)

●貴大学の講義内容、カリキュラムに対し、生徒からの評判は概ね良好です。ただし、総合政策学部のカリキュラムが、やや理解しづらいようです。生徒たちにわかりやすく説明するポイントはどのようなものでしょうか?

●海外留学に関して金銭面でのバックアップが不充分に感じられます。改善策はお考えでしょうか?

●入学手続延期手数料に対し、生徒から疑問の声が上がっています。これは必要なのでしょうか?
(愛知県立西春高等学校 江口誠二教諭)


返信~南山大学 副学長(教学担当)・総合政策学部教授 浜名優美

学生が目標を実現するための各種の制度を整備しています
まず、加納高等学校の武田先生のご質問ですが、大学内での転部・転科について、本学ではしっかりとした制度が整っています。
学科試験と小論文の試験を課し、一定の基準をクリアすれば、希望する学部、学科の2年次あるいは3年次に移ることができます。ただし、その基準は決して易しいものではなく、全員が希望通りに転部・転科できるとは限りません。

本年2月に実施した転部・転科試験では、2年生が18名受験して14名の合格、3年生が3名受験して1名合格という結果が出ており、平均して毎年10数名の学生が転部・転科している状況です。

次に、就職活動への支援態勢について、ダブルスクーリングそのものは学内にはありませんが、きめ細かな就職指導や資格取得のためのカリキュラム編成など、さまざまな方法で学生をバックアップしており、現在も高い就職率を維持しています。
いくつか具体例を挙げてみましょう。

まず、本学のホームページ上で、多数の卒業生の「就職活動体験記」を閲覧できるようになっています。これにより、先輩たちがどうやって就職活動に成功、あるいは失敗したのかがよくわかるなど、就職活動を進めるにあたって有効な資料として活用されています。

また、キャリア支援室の職員は、学生1人ひとりと面談をし、就職に関するサポートを行っており、学生からの評判も上々です。さらに、3年次の秋からはほぼ毎週にわたり、就職に関連する講座や、企業の人事担当者による説明会などを開催しており、就職に対する意識・意欲の向上や、必要な知識を得てもらうよう働きかけています。

就職に役立つ資格に関して、教員免許はもちろん、規定の単位を取得すれば、博物館学芸員、司書、学校図書館司書教諭の資格を取得できるカリキュラムを用意しています。この他、司法試験や公務員試験のための「法職特別課外講座」、税理士や会計士を目指す学生のための「会計士講座」など、資格取得を支援する講座もあります。

また、本学のエクステンション・カレッジでは、本年4月から公務員試験対策のための講座を開講しており、本学の学生は割引料金で受講することができます。このように、充実した支援態勢を整えておりますので、ご期待にお応えできるものと考えております。

西春高等学校の江口先生のご質問ですが、学生への支援の一環として、海外留学への金銭的なバックアップ態勢を整備しています。交流協定を結んでいる協定校同士の「交換留学」に関しては、留学先の大学の授業料が免除されます。大学の推薦を受けて留学する推薦留学などの制度では、申請があれば、南山大学の派遣留学奨学金が受けられます。

これ以外に、大学を休学して、学生が留学先を自由に選んで留学する場合でも、休学中は半期で5万円の在籍料のみを支払えばよいことになっており、従来よりも経済的負担は軽くなりました。ただし、交換留学などの制度による留学は、留学先の単位が本学の単位として認定されますが、休学して自主留学する場合は、本学の単位にはならないので、その点だけご留意いただきたいと思います。

全国入試で受験生の負担減を図っています

浜松西高等学校の竹山先生からのご質問ですが、本学が全国入試を実施している意図をご説明いたします。
本学では、北海道から九州まで、全国16カ所の試験会場で入学試験を行っています。

全国から広く学生を募集したいという考えのもとで、全国入試を実施していますが、実際には、東海3県から入学する学生が約九割を占めているのが現状です。ただ、受験生の方々は、通常さまざまな地域の複数の大学を受験します。

こうした状況のもとで、移動にかかる時間や交通費などの負担を少しでも軽減していただくためにも、全国入試制度は大いに役立っているものと考えています。例えば、東京の大学と本学の入試日が非常に接近している場合、東京に滞在しながら、長距離移動せずに両方の大学を受験できるというわけです。

入学手続延期手数料ですが、これは、合格者の方が、本学への入学資格を確保しながら、授業料等のお支払いを留保し、入学するかどうかの決定を延長される場合にお支払いいただくものです。この方法を選択された場合、先に全額を一括納入して入学を決定された方に比べて、どうしても事務処理の手続が増加します。結果的に大学側のコストが増大するという事情がありますので、この点についてはご理解を賜りたいと考えております。


情報開示や体験入学で受験生の理解を深めています

浜松西高等学校の竹山先生から、模擬授業についてご質問いただきました。
模擬授業は従来から実施しており、ご要請があれば、全国どこでも出向いてゆきますので、お気軽にお問合わせいただきたいと思います。この他、オープンキャンパスも毎年開催しており、キャンパス見学や相談コーナー、模擬授業など盛りだくさんの内容となっています。

さらに、昨年からは、「1日体験入学」という企画を始めました。これは、高校生に理解しやすいように内容をかみ砕いて行う模擬授業と違って、まったく平常通りの大学の授業を見学してもらいますので、大学の「生」の姿に触れていただくことができます。例えば、教授がどのような内容の専門的な講義をしているか、学生たちがどんな様子で授業に取り組んでいるかを、肌で感じてもらえるのです。

この他、大学から高校への情報提供に、本学は積極的に取り組んでおり、学生による授業評価の結果を始め、さまざまな情報を公開しています。学生たちが大学の授業を評価する制度については、授業評価を数百科目ごとに3つのカテゴリーに分けて、3年のローテーションで全科目を評価してもらっており、その結果を冊子にまとめています。

本学学生であれば、図書館や教務課、学生課で閲覧できますし、当然ながら、教員たちの授業内容改善にも活かされます。もちろん、高等学校側からご要望があれば、授業評価の冊子を進呈いたしますので、ぜひ参考にしていただきたいと思います。

さらに本学ならではの取組みとしては、在籍する各教員がどういう研究を行い、どんな教育を目指しているのかをまとめた、『南山の先生』という冊子を制作しています。これをご覧いただければ、本学の教員たちが、研究や教育にどれだけ熱心に取り組んでいるかをご理解いただけると思います。

新ジャンルの学問に取り組み新たな一歩を踏み出しました

西春高等学校の江口先生からは、総合政策学部のカリキュラムが理解しにくいとのご指摘をいただきました。
私自身、総合政策学部の教授を務めていますが、種々の学問の要素が混在した新ジャンルの学部であり、一般的な認知度はまだ低いのが現状です。

この学部では、複雑化した社会のあらゆる問題にアプローチし、解決に向けた「政策」を立案・遂行できる人材育成を目的としています。例えば環境問題なら、科学的なデータだけでなく、各地域の文化的背景や国家間の利害関係、経済事情など、複雑に絡み合う多面的な要因を分析しなければ、解決策を見出すことはできないでしょう。

そのため総合政策学部では、多種多様な問題解決能力を身につけられるよう、独自のカリキュラムが組まれているのです。

また、充実した英語教育や国際教育が全国的に評価されているためか、本学には「文系の総合大学」というイメージがあります。しかし、理工系の「数理情報学部」にも、世界の学会で活躍するトップレベルの教員がそろっており、躍進が期待されています。総合政策学部も含め、より幅広い研究・教育に取り組んでおりますので、ぜひ注目していただきたいと思います。

「どんな研究をしているの?」「授業はどんな内容なの?」――そんな疑問をお持ちの方は、ぜひ『南山の先生』をご一読ください。これを読めば、興味の分野はさらに深まるでしょうし、これまで興味のなかった分野にも新たに「ちょっと面白そう」という発見があるかもしれません。

地域貢献・生涯教育としての大学スポーツ (明治大学ラグビー部監督 境 政義・明治大学硬式野球部監督 川口 啓太)

地域貢献・生涯教育としての大学スポーツ

明治大学ラグビー部監督 境 政義
明治大学硬式野球部監督 川口 啓太
聞き手●ナジック総合研究所副所長 藤井一成

大学スポーツ、社会人スポーツなど、アマチュアスポーツの退潮が指摘されている。
現代人にとってスポーツとは何か。「大学スポーツ」の意義と将来性について、
名門明治大学のラグビー部監督・境氏と硬式野球部監督・川口氏に語っていただいた。

スポーツは時代を映す鏡

――アマチュアスポーツという大きなくくりの中でも、社会人スポーツ、大学スポーツと、それぞれに役割があると思うのですが、そうしたことを踏まえ、大学スポーツの課題をどのようにとらえていますか?

川口) 課題を挙げる前に、まず、スポーツそのものが持つ性格、特性を確認しておきたいと思います。
わが国にスポーツが入ってきたのは明治期です。以来、大正期から第2次世界大戦を経て高度経済成長、そして現在の高度に発達した消費社会に至る流れの中、スポーツはその時代、その時代を反映してきたと思うのです。

私たちは現在を「第3の教育改革」と位置づけています。明治5年の旧学制、昭和22年の新学制に続く改革だというわけです。従来、高等教育、とりわけ大学の責務は研究と教育だったのですが、今後はそこに「地域貢献」が加わるのではないか。

――いわば第3の柱だと。

川口) そのとおりです。社会貢献の一環としての生涯学習、生涯教育について、大学の外部から見た場合に、一番わかりやすいのがスポーツではないかと、私は考えているのです。

そうした視点から、野球部では、1998年より調布市の中学校の先生方と意見交換をしながら、野球教室や大会を催しています。野球、スポーツを通じて、どういう学生を育てるのか。その実践を、私なりに整理し、また、先輩方の意見も聞きながら模索しているのが現状です。

スポーツは地域で発展する

――境監督は現役時代、また指導者としても、海外のスポーツ環境に接する機会が多いと思うのですが。

境) わが国ではアマチュアスポーツが退潮傾向とはいえ、ことラグビーについては根強い人気がありますし、企業、大学の各チームの実力も拮抗しており、激戦が繰り広げられています。

しかし、ひとたび海外から見れば、「企業、大学がなぜそこまで?」という声は確かにあります。というのも、海外においてスポーツは地域コミュニティの中で発展するものだからです。

一方わが国は、企業、大学とアマチュアスポーツがセグメントで分断されています。ある意味で特殊、専門的な流れができてしまっており、その中で勝敗という目標設定がある。
たとえば、体育会でも、野球部とラグビー部といった横のつながりもほとんどありません。さらに、「ここは私たちのもの」「野球は野球、ラグビーはラグビー」といった発想で、都会の真ん中に広大な敷地を確保しておきながら、グラウンドや施設を関係者以外は使えない。

こうした状況は不自然だと思うし、「地域」という視点で考えてみれば、大学スポーツのハード、ソフト両面のアセットは、どのようにでも利用価値があるのではないでしょうか。

――現在構想中の「meijiコミュニティスポーツクラブ」は、まさにそうした大学の側面を具体化しようとするものですね。

川口) meijiコミュニティスポーツクラブは、明治大学が核となり、自治体、企業、そして地域が長期的な連携(JOCは3C構想〈College Community Company〉を提案しています)のもとに青少年や社会人など、アマチュアスポーツの発展やスポーツの文化化に貢献することを目的としています。

現在、43ある体育会に体育会本部と『明大スポーツ』紙を加えた母体と、明治大学スポーツファンクラブ(個人、協賛企業)という会員組織が、相互に情報交換や交流を図ろうというものです。

――具体的にはどのようなことに取り組むのですか?

川口) 青少年スポーツ教室あるいは大会の開催、講演会やセミナーの開催、また、明大体育会グッズや明大戦チケットの販売なども視野に入れています。

――将来的には、明大出身のトッププレーヤーの肖像権の管理といった、大学にとっては新しいマネジメントも生まれてくるかもしれませんね。

境) そうなるべきでしょう。今は「大学にとってのスポーツ」の価値を再確認しなければいけない時代だと思いますし、そのための試金石となればという思いがあります。

スポーツの裾野を広げる

――志の高い両監督が名門大学の名門チームを率いているということで、明治大学を中心とした新しい大学スポーツの発展が大いに期待できます。

川口) 誤解していただきたくないのは、meijiコミュニティスポーツクラブは、プロチームのサテライト組織を目指しているのではないということです。
もちろん、個々のプレーヤーの成熟の到達点として、プロの世界があっていいのですが、われわれの目的はプロの養成ではない。年齢や身体の発育・発達、また、価値観や感受性など、プレーヤーの成長段階に応じた指導を、一貫した組織体のサポートのもと、行ってゆくということです。これは今後、伝統校に求められる社会的な役割となるはずです。

小・中・高の若者たちは、今、一様に体力が低下しています。指導者(教員)の減少などでクラブ活動が割愛される。ひょっとすると高校でもクラブ活動がなくなってしまうかもしれない。
そうした状況になったとき、地域にすら身体を動かせる仕組みがないとなれば、どうなるでしょう。スポーツは体育領域だけでなく、知育、徳育、そして今日求められているコミュニケーション領域を内包しているわけですから、スポーツを蔑ろにするのは危険です。

境) 現在のところ、明治大学の取組みは、まだ「点」が散在している状況です。それらの点を「線」にし「面」にするのが、meijiコミュニティスポーツクラブなのです。

ラグビー部は八幡山にありますが、昨年九月から、グラウンドを「ハイブリッドターフ」という人工芝にしました。これがよくできた人工芝で、転んでも痛くない。子供たちがそこで鬼ごっこでも何でもできるのです。
そうした環境を「どうぞ使ってください」と提供し、また、それが地域のニーズとマッチすれば、自ずとスポーツコミュニティというものは活性化すると思います。あまり慌ててはいけないけれど、何もしなければ、大学は何も変わらないのも事実です。

スポーツの好きな人、身体を動かしたい人、そんな人はみんな集まれ! というところから、大学に自然に人が集まる――そうした姿がベストだと思うし、そうなることで、スポーツの裾野も広がってゆくのだと思います。

境 政義 Sakai Masayoshi

1951年生まれ。明治大学3年時に学生選手権を制し、翌年準優勝。元全日本学生代表。トヨタ自動車入社後、83年~87年、同社ラグビー部で監督として指揮を執り、86年、日本選手権優勝、85年、86年、社会人大会優勝、87年、準優勝、85年、国民体育大会優勝。89年、U23日本代表監督。92年、タイ国際U23日本代表監督、オックスフォード大交際試合監督、93年、アルゼンチン遠征日本代表コーチ、英国ウエールズ遠征日本代表コーチ、94年、ニュージーランドU23日本代表監督、95年、オーストラリアU23日本代表監督を歴任し、2002年より明治大学ラグビー部監督に就任。

川口 啓太 Kawaguchi Keita

1953年生まれ。明治大学商学部卒業。筑波大学大学院修士課程体育研究科コーチ学修了。明治大学商学部兼任講師。明治大学1年時に東京六大学野球秋季リーグを制す。3年時には同春季リーグ、秋季リーグをダブル制覇(春季リーグでベストナイン・三塁手)。明治神宮野球大会でも優勝。78年、江戸川学園取手高校野球部部長兼助監督に就任し、80年、第62回全国高等学校野球選手権大会出場。83年、沼津学園高等学校野球部監督。1991年、明治大学硬式野球部コーチ。2003年、秋季リーグ助監督ののち、監督に就任。JOC大学スポーツプロジェクトメンバー。

――スポーツは本来楽しむもの。芝生の上で裸足で動こうよ、スポーツが好きな人、集まれ!というのが原点。 (境氏)

――段階的かつ一貫した指導を行うスポーツコミュニティの整備が、伝統大学の社会的な役割になる。 (川口氏)

スピーディーに判断する!― これが大学の生きる道《第二回》 (アクセンチュア株式会社 榎原 洋)

スピーディーに判断する!― これが大学の生きる道《第二回》

アクセンチュア株式会社
官公庁本部・戦略グループ
シニアマネジャー 榎原 洋

腹をくくったら、やるべきことをさっさと決める、そして動く。
意思決定もアクションも、スロースピードでは意味がない。
ハイペースな状況判断を可能にするもの――それがガバナンスである。

意図された冗長性

今、時代はスピードを求めている。実際、民間企業において、これまで規制に守られていたような産業ですら、今日、その経営管理における最重要課題のひとつとしているのは「意思決定のスピードを格段に速めること(=スピード経営)」である。

規制の庇護のもと何もやらなくてよかったところから、きちんと判断しなければならなくなる。経営の質や課題も変わって、余所も動いていれば、社会が待ってくれる時間も限られている。

しかも決めなければいけないことが多いため、とにかく早く決めてゆかなくてはどうにもならないということで、「スピード」が経営上の重要なサクセスファクターとなるわけである。

こうした状況認識は今日の大学にも完全に符合する。大学もスピード経営が必要なわけだ。にもかかわらず、大学の意思決定は遅い。なぜか。意思決定の仕組みが「コンセンサス重視」のセオリーを踏襲しているからである。

独立法人化後の動きはじっくり見極める必要があるのだが、それを差し引いていえば、これまでの国立大学の学長や学部長には、経営上ほとんど何の権限もない。そこでは「教授会自治=学問の自由」のもと、教授会が大学経営を実態的に支配し、一つの案件に対しても全員のコンセンサスを得ないと何も決まらないシステムが立派に確立されている。

われわれはこのようなシステムの本質を「意図された冗長性」と呼んでいる。時間をかけることで総意を得たと認証する反面、個々の責任感は限りなく希薄になる。「何となく決まったけど、誰も責任をとらなくていい」……「無責任の体系」(丸山眞男)はこんなところにも宿っているというわけだ。

そもそも全員のコンセンサスを得ることなど、限りなく不可能に近く、結果、いつまでたっても何も決まらないし、何も変えられない(再度断っておくが、こうした悪弊の解消も独法化の一つの狙いだ)。
伝統のある、あるいは大規模な私立大学でも状況は同じ。まして私立大学は他に先んじた「個性出し」ができない限り生き残れないわけだから、「さあ、みんなで考えよう」なんて悠長すぎる!

これからの環境下では、すべての経営課題に対し、完全・確実な結論を出せるとは限らない。「80%の確度の迅速な決断」が、「タイミングを逸した完璧な決定」に勝るケースが出てくるはずだ。事態はいっそう深刻であり、大学におけるガバナンスの整備・改善が急がれる所以である。


5つのキーワード

大学の競争力を高めるファクターには3つのものがある。1つは前回述べた「戦略(ポジショニング)」、どう腹をくくるか。次に「組織能力(ケーパビリティ)」。これは、資源の潜在的な能力を最大限に発揮できる組織づくりのことだ(詳細は次回)。そして3つめが「ガバナンス」である。

ガバナンスとは何か? 「継続的に望ましいパフォーマンス(成果)を発揮するために、どういう仕組みを設けておくか」――ここではそう定義しよう。戦略や組織能力は、1回セットすればそれで良しではなく、状況に応じ見直さなければならない。あるいは通用しないとなれば、抜本的に変えてゆかねばならない。

また、経営者(学長)に対し、戦略の見直しを促す、あるいは戦略の策定に際し、その人材が適切でないとなれば、首をすげ替える。そういう仕組みを整備しておくことは、大学でも民間企業でも等しく必要だ。

筆を急いで誠に恐縮だが、スピード経営の実現にあたり、望ましい意思決定とチェック機構を機能させるためには、どのような組織基盤、人的基盤を構築すべきか。いわば「コンセンサス重視」から「スピード重視」へのセオリー転換のために、実装すべき方策のベストプラクティスを上図に挙げた。5つのキーワードに集約できる。

犾適任者による決断――要するに「やるべき人がやるべきことをやる」。それが学内の人材であっても、外部の「プロの大学経営者」であっても構わない。
猤監督機能の能動化・活性化――大学(学長)の「執行」を、理事会(役員会)が「監督」する。監督機能には学内はもとより社外取締役的な外部識者も登用する。ただし、監督機能がエンパワーメントされていること。

猪ステークホルダー論理による強い規律――利害関係者へのアカウンタビリティーは必須。
獷革新型リーダーの継続的獲得――リーダーのありようそのものが大学のビジョンを反映する。時代を乗り切るリーダーの選抜と育成を組織的に実行する。
玽経営陣の情報武装――ミッションに直結する情報がタイムリーに提供される仕組みづくり。

3つのステージ

一般にガバナンスの進化は、大別して3つのステージに分けることができる。
ご覧の通り、わが国の大学のガバナンス議論は、依然、第1ステージを舞台としている。「スピード経営」のために何を変えるべきか、それすらまだ具体化されていないのが現状なのである。

こうした考え方は、民間企業におけるガバナンスのありようと必ずしも沿うことはないが、民間企業や海外大学における参考にすべき事例を基に、わが国の大学経営にあてはめ、その目指すべき方向を明らかにすべきであることは確かである。


段階的なアプローチ

スピード感をはじめとして、大学の経営管理のあるべき姿への移行は一朝一夕にはできない。また、拙速を貴んでもいけない。それぞれの状況に鑑み、段階的にアプローチすることが必要である。

スピードの強化に奏効する施策のうち、犾今すぐ着手可能で、猤効果の確認を比較的短期間に実施でき、猪結果として意識改革が進む、そんな取組みとして、7つの施策を右図に挙げる。読者諸賢の状況を充分に鑑み、今すぐ検討、着手されたい。なにしろ時間は待ってはくれないのだから。

次回は、稟議・決裁フローの整理やアウトソーシング、人事マネジメントなど、組織能力(ケーパビリティ)について検証を進めてゆきたい。

榎原 洋 Ebara hiroshi

慶應義塾大学経済学部卒業後、アクセンチュア入社。大学・学校法人の他、研究機関、病院、公共交通・運輸業などのコンサルティングに携わる。大学・学校法人においては、募集戦略、新学部学科のフィジビリティスタディ、新規事業戦略、組織再編、人事制度改革、教育プログラム改訂、情報化計画、業務効率化など、多種プロジェクトに従事。

入学試験と「2009年問題」の功罪 (精神科医 和田秀樹)

入学試験と「2009年問題」の功罪

精神科医 和田秀樹

2009年に「大学全入時代」が到来する。形骸化を招かないためにも、各大学には入学試験の一層の工夫が求められている。
入学試験の意義は? 受験勉強はムダなのか?
新しいアプローチから入学試験の効用を説く。

8割の入学試験は中止!?

さまざまな形で大学が変わっていかざるを得ない背景の中で、もっとも大きな検討課題の一つに「2009年問題」といわれるものがある。
これは、少子化と大学の定員増のために、2009年には大学の志願者数と定員が逆転するというもので、そうなると大学名さえ選ばなければ、希望者は誰でも大学に入れることになる。

予備校の予想では、そのときには、入試を行う大学が2割程度になるのではないかという。大学が定員確保のために推薦入学を大幅に増やすだろうし、一方で、志願者数が定員の1.5倍に満たない(多くの大学は、他大学に流れる人を見込んで、定員の1.5倍以上の合格者数を出す)ために、名前さえ書けば、原則的に全員合格というFランクといわれる学校が四割程度(現在でもすでに15%にもなるそうだ)に膨れ上がるためだ。

Fランクはともかくとして、推薦入学であれば、それなりの学力が担保できるという考え方もあるが、私はそうは思っていない。

推薦入学はアテにならない

実際のところ、早稲田、慶應クラスの大学の学生でも受験時に数学を選択していなければ、2割が分数の計算もできず、7割が中学校レベルの2次方程式が解けない。

入学試験に数学を課さなければ、中学までに習ったことを、これほどまでに忘れてしまうということは、すでに高校卒業という事実が、バリア機能を果たしていないことを意味する。おそらく、赤点や落第、留年などというものはほぼ存在せず、卒業試験を行う高校などはまずないのだろう。

だから、推薦入学で入ってきた学生の学力はあまりアテにならないと考えるべきだ。まして、大学が定員確保のために、高校から「推薦してもらう」立場になれば、なおのことそうなるだろう。

現実に、高等学校が内申書重視で、事実上全入状態になると、高校入試(中学の総復習レベル)が儀式化し、3割程度の得点でも公立高校の普通科に入学できるようになってしまったとのことだ(もちろん低位校の話だが)。

入学試験の二つの機能

もう一つ問題がある。それは入学試験を通じて磨かれるいくつかの能力が育たないということだ。
基本的には、入試には二つの機能があると私は考えている。

一つは、一度身につけた学力や知識を長期間保持していなければいけないということ。
毎日の小テストや中間・期末テストを行うことで、推薦入学者もそれなりの学力や知識を身につけるが、試験が終わるとすぐに忘れてしまうことは珍しくない。

たとえば、歴史の試験などは、教科書の内容のある範囲をほぼ完全に覚えさせるので、大学入試と大してレベルの変わらない問題が課せられることだろう。それを6回もやれば、大学入試の範囲を完全に網羅するはずだが、かなりの部分を忘れているので、改めて受験勉強をやらないといけないわけだ。

入試の場合は、それ以上長い間覚えていなければならない。イギリスの研究でも、日本政府の教育費用負担が少ないのに、優秀な教育を行えたのは高校と大学の入試のおかげ(もちろんいくつかの原因のうちの一つではあるが)と結論づけている。

先の数学の例でもわかるように、一度できるようになっても(おそらく早稲田や慶應の学生であるから、一度は分数も二次方程式もできていたはずだ)しばらくやらないとできなくなることは多い。入試がなくなることで、そのような機能が働かなくなると、確実に大学生の学力低下につながるだろう。

しかし、私がそれ以上に心配するのは、入試の二つ目の重要な機能である、(コンテンツ云々ではなく)知的能力習得の機会が失われてしまうことだ。
よく「学校で勉強することが社会に出て役立つのか」と問われる。特に、高校までの勉強はそうである。

私もコンテンツとしては、多くの場合、ノーと答えざるを得ない。確かに国語や英語の読解力は、役立つ職種が多いかもしれないが、二次方程式が解けることや、覚えた歴史の年号が、社会に出て役に立つことはまずないだろう。

しかし、その際にきちんと復習しないと記憶できないとか、書いて覚えるだとか、要点を覚えるなどの形で身につけた記憶メソッドは大人になってからも役立つはずだ。
数学にしても、場合わけやシミュレーションなど数学的な論理思考が身につく。現に京都大学経済研究所の西村和雄先生の研究では、文系の大学を出た人同士の比較では、入学試験時に数学を選択した人と、しない人では年収にかなりの差がついていることがわかっている。

これは文系と理系の比較でなく、また、入社試験に数学はまず課されないことを考えれば、数学ができるほうが仕事ができることを意味するのではないだろうか?
身につけておかねばならない期間が短くていい定期試験より、身につけた能力を長期間維持しなければいけない受験勉強のほうが、大人になってから役に立つことが多いといえはしまいか?

受験で得られるもう一つの能力

もう一つ、身につく知的能力といえば、志望校の入試問題分析と、それに自己能力を評価した上で、諦めることを含めて対策を練る能力だ。どのような入試問題が出ているから、自分の学力や能力特性ではどのようなやり方をすれば、合格最低点をクリアできるかを検討するのである。

この能力は、自己分析にもつながるし、長期的な視野に立った問題解決能力にもつながる貴重なものだと私は考える。これが受験で得られる隠れた能力だろう。このような能力を日本の多くの高校生が身につけていたのに、それが期待できなくなるのは残念なことである。


学生批判より入試の質の向上を

ここで大学関係者に限らず、多くの日本人が持つある種の反駁が考えられる。勉強そのものは好ましいが、受験を目的にした勉強はいかがなものかと。確かに入試科目しか勉強しなくなるかもしれないし、限られた能力しか測れない。また、自己の充実や知的好奇心を満たすことより、功利的な勉強に走りがちになる。

しかし、誤解を恐れずにいえば、多くの場合、入試問題を変えることで解決がつくのではないだろうか?
たとえば、私立大学の医学部の場合、国家試験の合格率で、志願者が減ったり、国からの補助金が減らされたりするので、大学の4年生くらいから国家試験の予備校化しているという批判がある。

しかし、私の知る限り、予備校化していない大学では、教授が自分の限られた専門範囲を得々として教え、臨床能力がさっぱり育っていない。アメリカのメディカルスクールでは卒業した時点で、ある程度臨床ができるようになっているのに、日本の研修医のレベルは『ブラックジャックによろしく』の主人公以下だと。

これにしても、医師国家試験の問題を大学教授がつくり、およそ臨床に関係ない設問が頻出しているのが問題であって、第一線の臨床医が作成した問題なら、予備校化したところでそれができるようになりさえすれば、大学の授業だけを一生懸命聞いている医学生より、よほど能力がつくだろう。

入試とは、どんな人材をほしいかを示す基本的な部分である。その求められる能力を身につけるために受験生が努力することは、むしろ社会に出てからのさまざまな能力を身につける有効な予行演習になるはずだ。要するに、受験対策ばかりする学生を批判するより、入試問題の質を上げてほしいのだ。全問マークシートの問題で何が計れるというのか?
そういう意味で、「2009年問題」は、社会に出てからの蕫伸びシロ﨟を醸成するチャンスを奪ってしまうことが、最大の罪なのかもしれない。


和田秀樹 Wada Hideki

精神科医。東京大学医学部附属病院精神神経科助手を経て、1991~94年アメリカカールメニンガー精神医学校に留学。老年精神医学、精神分析学(特に自己心理学)、集団精神療法学を専門とする。
日本初の心理学ビジネスのシンクタンク、ヒデキ・ワダ・インスティテュートを設立し、代表に就任する。主著に『痛快!心理学』(集英社インターナショナル)、『女性が元気になる心理学』『学力崩壊』(PHP文庫)、『〈自己愛〉と〈依存〉の精神分析』『壊れた心をどう治すか』(PHP新書)、『多重人格』(講談社現代新書)などがある。
現在、心理学、教育問題、老人問題、能力開発、大学受験などのフィールドを中心に、テレビ、ラジオ、雑誌や数多くの単行本を執筆し、精力的に活動中。
●和田秀樹ホームページ http://www.hidekiwada.com/

ボクも大学生だった - 森 毅

わからんでもいいそのうちわかったらええねん

持ち前の飄逸さで油断させ、隙あらば一気に骨を断つ“一刀斎”こと森毅氏。東京の焼け野原に憧れて難民列車で上京し、「牧歌的な時代」を過ごした“ええかげん数学者”が見た日本の大学と学生の姿。

焼け野原に憧れて

受験とか大学といっても、ボクの時と今とは全然違うでしょう、時代も制度も。ボクの時代は旧学制だから、高校入試が大変やったんです。一高とか、ボクが行った三高(京都)は、要するに帝国大学の予備課程みたいなもんで、大学へはほとんど自動的に行けるんです。もちろん試験はありましたよ。でも、それは今でいう大学院入試みたいなもので、京都出て東京行こか、それとも名古屋に好きな先生がいるからそこにしようか、そんな気分でした。

高校入試の面白い話。丸谷才一は新潟高校ですが、ある日、校舎の屋上で遊んでいたら銃器庫から入試の答案が出てきたそうです。それで、自分の採点を見たら、作文が50点満点で15点。彼、愕然としたんですね。

でもよく見ると丸谷が最高点だったそうです。自慢げに話してくれました。さらに傑作なのは安岡章太郎。彼は二浪して結局、弘前高校を落っこったんですが、作文は30点取ったと自慢するんです。でも、おかしいでしょ。作文でそれだけ取れて浪人するんだから、他がよっぽどひどかったんやと。まぁ、牧歌的な時代ですよ。

三高の優等生はだいたい京大へ進むんですが、ボクらみたいなヤカラは、東京の焼け野原に憧れていて……。あまり知られてないと思うけど、終戦直後の東京には移動制限があって、よっぽどのことがないと入れなかったんです。ただし、東京の学生になれば入れると。「どうせ住むなら一番激しいとこに住みたいやん」。そんな気持ちで上京しました。

「難民列車」で上京

汽車で上京したんですが、切符を取るのに数時間、席を取るのにまた数時間、板の打ち付けてある窓からやっとこさ乗り込んで揺られること十数時間、まさに難民列車ですよ。噂によると、上野の地下道で毛布にくるまって寝て、翌日、本郷に来たヤツもいたらしい。

その頃は変な時代で、戦中は受験者よりも入学定員のほうが多くて、ボクの受ける数学科の倍率もボチボチやろなと思って、試験前も遊んでたんです。それで聞いたら4倍やいうんで「そんな無茶な」と。三日前から慌てて勉強しました。ええかげんなもんですね。

数学は爆発しない

数学科へ行こうと思ったのは、数学少年だったから。いってしまえば、そんなところです。遊びたいヤツは理学部、堅気気質は工学部という流れがあったけど、ボクはガス栓閉め忘れることがあるし、爆発したら怖いやん。数学なら寝ながらでもできるでしょう。

当時、一番お洒落だったのは、理科から文学部、文科から理学部へというものでしたが、それもじゃまくさくて……。ある番組でビートたけしに「森さん、疲れてませんか?」って聞かれて「ボク、小学生の時から疲れてたもん」っていって皆で大笑いしたことがあるけど、ほんまにそんな感じ、「まぁええわ」というわけです。


24通りの解法

ボクは何でも要領がよくて、難しいといわれる単位も簡単に取ったし、ラッキーなことに卒業後もすぐに北大で助手のポストが見つかりました。その後、京大に移るわけですが、入試問題をつくっていたことがあります。

ボク、ひねくれ者ですから、4通りくらいの解法が予測できる問題をつくって「どや!」というわけです。ところが、蓋を開けてみたら24通り。これは採点が大変でした。京大はわりと中間の過程を比較しようとするから、この解法とこの解法でどっちがなんて、ボクらでも判断しにくいんです。全体的に、ボクのつくる問題は、わりかし評判が良かったですよ。


学力低下? 少子化?なんぼのもんやねん

今、学力低下っていわれてるんだけど、ボク、これが気に入らない。ボクらの時もいわれたし、1969年の学生さんの戦争ごっこの時にもいわれました。客観的に強くいわれる時期というのが周期的にあるんです。

東大理で半分以上の学生が授業についていけないという話があったでしょう。あれ絶対に嘘、そんなについていけるわけないやん。京大の経験からいっても、理解してる学生はもっと少ない。それに東大は京大より不親切やから、ほとんどの学生、理解できてないはず。なんぼのもんやねんと。

誤解してほしくないんですが、学問ってそんなもんやと思うんです。なんやわからんけど、読み進めるとか、わからんからじっくり考えるとか。今は、テキストとかレジメありきで、そこから逸脱すると文句が出る。ボクの時なんて、寮の先輩が「これええで」と薦めてくれた本が、ヘーゲルの『精神現象学』ですよ。

16歳でわかるわけない。でも読むんです。法学部の教室で丸山眞男さんが荻生徂徠をやるとなれば、そこいらみんなが聞きに来てました。すぐにはわからんけど、そのうちわかるようになればいいんです。

基礎学力云々ではなくて、基礎学力なしに畑違い同士が議論する――要するに異分野交流、これが大事なんです。学問だけじゃなくて、職業間でも、外国人との「交通」でも何でもです。今、一番求められているのはこの能力なのに、どんどん落ちている。キャリアデザインなんて胡散臭いのもそうですが、やけに決まった道を、決まった方法で行こうとする。これでは多様性がなくなって、結局は単一化してしまいます。

少子化問題もしゃらくさい。大学が日本人の学生だけを相手にしてどないすんねん。留学生でも社会人でも、大学行きたい人はなんぼでもいます。

留学生にしろ、転部・転科、あるいはこの国の移民政策にまで広がるかもしれんけど、垣根取っ払っていろんなもん入ってきたら、ガチャガチャするし、摩擦も起きる。でも、そういうガチャガチャを、しょうもないこといわずに、何とかするにはどうしたらいいかを考えるのがスジでしょう。それをしないで何が大学だと、ボクは思うんです。(文中敬称略)

森 毅 Mori Tsuyoshi

1928年東京生まれ。東京大学理学部数学科卒業。
北海道大学助手、京都大学助教授を経て、71年に教授に。91年に退官後、自称フリーターとなり、新聞・雑誌・テレビなどで評論活動を行う。ユニークな視点からの切り口と、独特の語り口調が若者をはじめ幅広い層に人気を博している。
著書に『年をとるのが愉しくなる本』(ベスト新書)、『元気がなくてもええやんか』『21世紀の歩き方』(以上、青土社)、『ええかげん社交術』(角川書店)、『寄り道して考える』(養老孟司氏との共著、PHP研究所)、『ボクの京大物語』(福武文庫)など多数がある。

見えない資産をどう活用するか (財団法人知的資産活用センター)

見えない資産をどう活用するか

所管経済産業省財団法人知的資産活用センターが2004年3月設立

ものづくり立国から知的財産立国へ――。マーケットのグローバル化と、激化する国際競争の中で「知的財産」への注目が集まっている。企業や大学の見えない財産を資産として捉え、ビジネスにどう結びつけるか。三月に設立した「財団法人知的資産活用センター」の取組みを紹介する。

ものづくり立国からの脱皮

「いいものを安くつくる」――これがわが国のお家芸だった。わが国が世界有数の経済大国となるプロセスを支えてきたのは、ものづくりの力である。家電製品や自動車など、メイド・イン・ジャパンのプロダクトが世界の市場を席巻し、日本経済は拡大を続けたわけだが、それに伴い人件費や地価が上昇、生産活動を支えるインフラコストは高騰した。

一方、安い人件費を武器に中国が「世界の工場」として、その地位を確固たるものにしている。クオリティーに関しては、まだわが国にアドバンテージがあるものの、キャッチアップは時間の問題だろうし、コストはもはや中国に太刀打ちはできない。「ものづくり立国」だけでは限界がきた。そんな中にあって、形のない知的財産が急速に注目を集めている。

大学の知財をどう活かせるか

大学の知財を活用しようということで、TLOが現在四一団体(承認TLO36・認定TLO5)あるが、運営には苦労しているところが多い。しかし国立大学が法人化され、教授などが保有する知的財産を大学保有に切り替え、ビジネス化を目指して知的財産管理本部を設置する大学が増えたが、まだまだ少数であり運営の難しさはこれからといえる。

知的資産活用センターの役割

そうした大学や企業の知的財産を経営資産として捉え、事業化、さらに新たな収入源として活用させようと設立されたのが「財団法人知的資産活用センター」である。同財団の理事長を務める赤松憲樹氏(前・尚美学園理事長)は、財団の目的を次のように語る。

「わが国が国際競争力に打ち勝ち、経済の活性化を図るには、知的財産を最大限に活用した経営手法の構築が必要であり、世界に通用するシステムの確立が急務です。

知的資産活用センターでは『知的財産の評価手法の研究』や『流通を前提とした信託手法の研究』『特許を軸としたビジネスモデルの構築支援』『資金調達情報支援』『産学の共同研究支援』『業界を越えた企業とのビジネスマッチング』などを柱とし、さらに『知財知識の向上を目指した人材育成』などを手掛けてゆきます」

北澤副理事長(学生情報センター社長)は「大学の持っている知財は、これからがビジネス化の時代」「学生にも知的財産に関する基礎知識が習得できる環境を提供し、就職活動における大きなアドバンテージを獲得させることも視野に入れている」と語る。

企業の知財部門への就職希望者は、年々増加しており、知財部門の担当者は法律や技術の知識に加え、特許をビジネスに結びつけるマネジメント能力が求められるなど、幅広い分野の能力が必要である。

知財戦略推進計画の主要項目には、知的財産の創造基盤を整備するとともに、大学における知的財産創造の推進が挙げられている。
財団法人知的資産活用センターと大学、そして産業界とのコラボレートが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の復活への呼び水となることを期待したい。

財団法人知的資産活用センター概要

設立許可取得:平成16年3月16日
所管:経済産業省経済産業政策局知的財産政策室
目的:企業や大学が保有する知的資産を経営的見地から知的資産として捉え、最大 
   限に活用するための調査、研究、検証を行い、知的資産を核とした事業化支
   援や流通の促進、人材育成を図り、わが国の産業振興と経済発展に資する。
事業:
◆知的資産を経営に活用するための調査、研究、検証。
◆大学や企業、地域などに対して研究成果をもととした知的資産有効活用の相談。
◆大学や企業などの知的資産を登録し、事業化支援や価値評価支援。
◆知的資産を有効活用する人材の育成。
◆講演会、出版物等の刊行、学術論文の発表など、上記事業に関連する普及啓発。


財団法人知的資産活用センター理事・監事一覧(敬称略・50音順)

理事長  赤松憲樹    尚美学園前 理事長
副理事長  小澤興朗   第一藍野学院副理事長
副理事長  北澤俊和   ㈱学生情報センター代表取締役社長
副理事長  増永保夫   UFJ信託銀行㈱特別顧問
専務理事  田代慈邦   協和特許法律事務所顧問
理  事  清成忠男   法政大学総長 理事長
理  事  下坂スミ子  前 日本弁理士会会長
理  事  棚橋祐治   石油資源開発㈱代表取締役社長
理  事  二村隆章   新日本監査法人代表社員公認会計士
理  事  丹羽一彦   中央国際法律事務所弁護士
理  事  八田英二   同志社大学学長
理  事  藤澤義之   メリルリンチ日本証券㈱会長
理  事  三好秀和   三好内外国特許事務所所長弁理士
理  事  山地克郎   ソフトウエア情報センター専務理事
理  事  吉田豊麿   日本国際知的財産保護協会理事長
監  事  三和彦幸   あずさ監査法人専務理事
監  事  齋藤力夫   齋藤総合会計事務所公認会計士税理士

時代が求める真の専門教育の姿とは (大原学園学園長 青木靖明)

時代が求める真の専門教育の姿とは

大原学園学園長 青木靖明

「大学全入時代」を前に、問い直される大学の存在意義。「目的もなく大学に進学するよりも、確かな職能を身につけられる専門学校へ」という動きが加速している。全国に47校を展開する資格取得のパイオニア・学校法人大原学園の青木学園長に、真の専門教育の姿について伺った。(聞き手/学生情報センター社長 北澤俊和)

求められるスペシャリスト

――今なぜ専門学校が注目を集めているのでしょうか。
青木学園長(以下敬称略) 高校の教師や保護者の多くは、まだ大学教育一辺倒の考え方から逃れられていないようですが、当の高校生自身は、大学教育に大変不安を感じています。いったい大学へ行ってどうなるのかという具体的な将来像が描けないからです。

以前なら、「選ばれた人」だけが大学に行くことができた。大学へ行くということだけで、一つのステイタスになった。ところが、今や無試験同様に誰でも入学することができる大学まで現れるとなると、もはや「選ばれた」というステイタスは失われています。では、社会に出てから役に立つような職能が大学で得られるのかといえば、それもきわめて心許ない。

一方、企業サイドも、拡大路線を進んでいるときは、人材が不足し、大学生をどんどん採用していましたが、バブル崩壊後は一転して縮小路線に入りました。雇用は極端に減少し、必要な部署に必要な人材を、ピンポイント式に採用するようになりました。社会のニーズがゼネラリストからスペシャリストへ変化したのです。では、スペシャリストはどこで育成しているのかといえば、それは大学ではなく専門学校です。

こうしたことを背景に、専門学校は全国で2900校に達し、入学者数は短大を超えて、大学に次ぐ第二の高等教育機関へと成長したのです。

ゼネラリスト育成が大学の使命

――専門学校教育と大学教育はどこが違うのでしょうか。
青木) 大学は特定の目的を持つ集団ではなく、多種多様の考えを持つ多目的の集団です。専門学校は、これから何か具体的な職業能力を身につけるべく集まった、目的を同じくする人の集団です。

したがって、大学の授業は一般的な内容になる。例えば商法であれば、商法一般を学ぶということになるのです。これに対し、専門学校の授業は、特定の目的を持っています。例えば商法なら、公認会計士の資格を得るための商法の勉強です。目標がはっきりしていますから、その達成のためにみんな頑張ります。

ところが、大学は入ることそのものが目的になってしまっている場合が多い。そうすると入ったあと、学ぶ目的を見つけられず、ただ時間を空費してしまうということに陥りがちなのです。

――しかし、最近は資格取得をうたう大学も出てきていますが。

青木) 果たしてそれが本当に大学の役割であるのかどうかをよく考えてみなければなりません。大学教育とはそもそも、学問研究を通して、大局的な見地から物事を見られる指導者(リーダー)を育てていくこと、つまりゼネラリストの育成が使命です。

そこで行われる研究が個々の職能に直接結びつかなくてもよいのです。国をリードしていく、あるいは組織をまとめ統率していく、そういう人材を大学は育てなければなりません。ところが、今大学はそれと逆のことをやろうとしています。いつから資格取得が学問研究になったのでしょうか。

スペシャリスト育成が大学の使命でしょうか。もしそうだとするならば、学問の概念が変わったことになります。大学と専門学校の区別はなくなってしまいます。それならば、大学には教育助成を行い、専門学校には助成がないというのは、どう説明できるのでしょうか。

なぜ学生が本気になるのか

――貴校の専門教育は高く評価されていますが、その秘密はどこにあるのでしょうか。
青木) それは、私たちは他校にない教育精神を持ち、日々の現場でもその精神を貫いているからだと考えています。私たちは、学生が大原に在籍する二年間を、八カ月ずつ三つのステージに分けて捉えます。

第一段階は「引き剥がし」です。これは、高校までの十八年間の思いこみから解放するという意味です。高校までに勉強ができたかできなかったかは一切関係がない。今からすべてが始まるんだ、という意識づけの期間です。

その具体的な手法である「TWO―TWO作戦」についてお話ししましょう。これは、4月に入学した2カ月後の6月に、簿記検定2級に合格させるというものです。これは努力を惜しまなければ大抵の人には可能なことなのです。高校までの多科目教育とは違い、専門学校では一点集中の勉強ができるのがメリットです。

それを生かして徹底的に簿記をやるのです。大原には「明日来たときはみな同じ」という合言葉があります。「今日やったことは、学生によって理解度が違う。しかし、明日授業を始めるときには同じレベルになっていよう」という意味です。そのために、わからなかった学生は残って勉強し、先生も最後まで付き合います。
そういう校風ができあがっているのです。わかるまでやる。わかると面白くなる。できたという達成感がある。すると自発的に残って勉強するようになります。こうして大抵の学生が2級を取得するのです。「やればできる」ことを身をもって実感する、これまでの人生になかった体験です。これで学生たちは変わるのです。

――なるほど。高校までの自分とは違う、という自信が生まれるわけですね。

青木 そして次の「育成」の期間に入り、各自の能力と適性に合わせてさまざまな資格を取得していきます。ここで学生たちが手にした合格証書は、身についた実務能力であるとともに、彼らの積み重ねてきた努力の証でもあるのです。

そして、最後の八カ月は「加入」です。これは社会人になるために必要なことを身につける期間です。一般社会の現実を知り、そこへ勇気を持って飛び出していけるよう準備を万全に整えていきます。

「引き剥がし」「育成」「加入」。この3段階のトータルな教育システムを通して、学生たちは、入学したときの自分と卒業時の自分の違いを完全に理解します。こうした体験に裏打ちされた自信を持つのが大原のオリジナリティであり、卒業生が大原出身であることにプライドを持つ所以なのです。

今、社会のニーズは「どこを出たか」よりも「何ができるか」です。それに応える職業能力の育成と、正しい人生観を持った人格の形成を、どこまで本気で実践しているか、それがこれからの専門学校の浮沈のカギを握っているのではないでしょうか。

機微を感じる心を育てる ~心の教育と大学~ (季刊誌『禅と念仏』発行人  鈴木 忠雄)

機微を感じる心を育てる ~心の教育と大学~

季刊誌『禅と念仏』発行人  鈴木 忠雄

忘れられた「心」

「大学改革」という言葉が巷間を賑わし、それぞれの大学も組織改編やカリキュラムの改訂、入試方法の模索や就職支援活動など、まさに「生き残り」を賭けたさまざまな方策に力を入れているようである。

私は大学教育、またその改革の議論にも明るくないし、一つひとつの取組みに対して、とやかく申し上げる立場ではない。しかし、いわば百花繚乱の議論の渦中にあって、学生の「心」、「優れた人格の形成」といった「人生の機微」に向けた視点が、忘れ去られているような気がしてならない。

ここでは、私がこれまでに知ることになったいくつかのエピソードを紹介することで、「心」の教育の再認識への縁とさせていただきたい。

老美術監督の精進

小林義功さんは神奈川県海老名市の町外れにある三間四方の古い観音堂に住むお坊さんだ。8年前、行脚の途次たまたまその前を通りかかり、縁あって堂守に。小林さんはここを住まいにし、法話会を開き、近在のお年寄りの話し相手となり、また『臨済録』の講義録を執筆する毎日を過ごしている。

また、生活費のすべてを托鉢による喜捨に頼っている。師はJR中央線駅前の老舗酒屋の長男に生まれ育ち、中央大学法学部を卒業したが、高校時代から強い対人恐怖症に陥り、一時期、家業を手伝い結婚したが、対人恐怖症から日々の生活に耐えられず離婚。出家して臨済宗の僧堂に入ったのである。

観音堂の境内に、神奈川県名木百選にも選ばれている寿齢450年の榧の大古木が立つ。ある日、師が托鉢から戻ってくると、脚の不自由な御老体が大木を見上げて立っていた。御老体には品格が備わっており、脚のことを訊くと大戦中に機銃掃射の弾丸が左足を貫通し、膝から下を吹き飛ばされ、以来、義足となったという。

さらに話を聞いて驚いた。御老体つまり井上泰幸さんはゴジラ映画の特撮映画でつとに知られる故円谷英二監督を支え、美術監督をつとめてきた。美術構想は円谷監督が練るにしてもその構想を具体化するための設計、製作つまりその工程のすべてを井上さんが指揮監督したのだという。そのタイトルは『ラドン』『ゴジラ』『日本海海戦』『日本沈没』など100本を超えた。

1年後。井上さんが脳梗塞で倒れたと聞き、小林師は病院に駆けつける。2カ月後退院にこぎつけたが、後遺症で右手、右足がきかなくなった。四肢のうち使えるのは左手一本となったのである。
その頃、観音堂に安置されている手が欠けた弘法大師像を修復したいという思いが小林師にあり、その修復をリハビリにもなるだろうからと井上さんに託した。

井上さんは初め固辞したが熱心に説得。それが効を奏しそれから6カ月、氏は毎朝、不自由な両脚を励ましながら観音堂に姿を現し、まずお大師さんのお軸に水を供えて合掌し、作業に取りかかる日々が続いた。そして見事な出来映えの大師像を復元させたのである。

小林師は私の主宰する情報誌に掲載されたエッセイの中で、こう書いている。
「井上さんのような人は善意から何かをしたいと思う。そうした仏心をいっぱいもっている。仏教を難しく考えることはないのだ。善意そのまま素直に行動に移したら、それでいい」
対人恐怖症に苦しみに苦しんだすえの師の言葉である。

黒四ダムから

これまでに数多くの出家僧にインタビューをしてきた。出家とは出世間のことであり、世俗の生活を捨てることだ。出家の動機にはいくつかのケースがあるのだが、中でも幼い愛児の死の悲しみは、他の何かに譬えられるものではない。その例をA師に見た。

A師は日大芸術学部を志望し、東京で浪人中に黒四ダムの工事現場で働くことになった。トンネル内にある飯場では夜となく昼となく博打場が張られる。中には勝つ者がいるが、たとえ勝っても長いトンネルを抜けて世間に出ることはできない。

トンネルのあちこちに組の見張りが立ち、追い返す。トロッコの線路を伝い走って逃走をはかった者もいたが、つかまったら蕫行方不明者﨟とされ、土中に埋められて不思議でない世界だったという。

Aさんも逃走をはかった。トンネルの中をまさに死にもの狂いで走って奇跡的に脱走に成功。思いもしない大金を懐にして、故郷岡山に帰り、その頃、水島コンビナートの海岸埋め立て工事が始まり、早速ダンプカーを購入、工事現場に出入りした。才気煥発のAさんは袖の下も十分に活用して、のし上がっていった。

さらに儲け仕事をと、韓国から李朝の白磁や青磁を密輸。密輸もさることながらその白磁・青磁は済州島の売春窟にい続け、女たちを手先にし、男たちに墓場荒らしをさせて、安置されてある骨壷を盗んで集めさせたという。

そのたたりでもあったのか、留守中に夫人とAさんの友人が駆け落ちし、さらに一人娘が白血病になり、亡くなった。さすがのAさんも生きる心の根底を喪い、会社をたたんで、寺男として使ってくれそうな寺をさがしてあちこちを放浪して歩く身となったのである。

数年後、托鉢僧となり東京に姿を現す。さらに数年後、独力で不動堂を建て、また数年後、全国ネットのテレビ番組にしばしば出演するところとなった。その頃には咽喉ガンに侵されていた。それでも喫煙をやめずに自らの死の道を歩んだ。享年62歳だった。

師は涙を流し続けて私に自分の過去を語り、「すべて自業自得のことです」とつぶやいたのである。

羝羊心

最近、数年前に七歳の愛娘を喪くし僧侶になった50代半ばの真宗僧を知った。山里の空寺の蕫権利﨟を入手し、娘の菩提をとむらっている。「一日も早く娘のところへ行きたい」とも。
空海(弘法大師)の主著『十住心論』は人間の精神の発展段階を十段階にランクづけし、初段階にて「異生羝羊心」、最高の第十住心に真言密教を掲げている。

「異生」は凡俗の我らのことであり、羝羊心は本能のままにふるまう雄牛の心に擬らえ、親が子を思う思いもその一つにあげているのだ。僧は我が子の菩薩をとむらって事足れりとしていてはいけない、人間の精神の成熟としてはまだ緒についたばかりだというわけである。

「機微」を感じる心

近年の若者の動向を鑑みるに、「人生の機微」を感得する心を疑わずにいられないことは冒頭にも記したが、そうした心の醸成には、まず家庭が大きな役割を果たすだろう。そして学校教育である。学校教育でも初等、中等、高等と、子どもたちの成育段階に合わせた人格教育が施されるべきだが、こと高等教育の中でも最高学府として存在する大学でこそ、心の教育は注力されてしかるべきだと考えている。

「人間教育」を標榜する大学は数多く、特に私立大学では広義の「宗教心」を教育理念として掲げるところもある。教派、主義の違いこそあれ、それらは結局のところ「相手を思いやる心」「相手の気持ちを想像する能力」の育成を謳っているのである。今、改めて、「機微を感じる心」を見つめ直してもいいのではないだろうか。

鈴木 忠雄 Suzuki Tadao

1939年生まれ。
京都大学法学部卒業。卒業以来、自由業としての編集・執筆に従事。99年、『禅と念仏』を創刊、現在に至る。